チハヤがドアの向こうに消えてしまったあの日から、

まるで機械のように私はただ黙々と牧場の仕事に打ち込んでいた。


カラクリ人形のようにぎこちない私の動きに、気づいているのか、動物たちは息をひそめているし、

作物たちは、ひっそりと土の中でこちらの様子をうかがっていた。




自分で作ったチェリーパイは、一人で食べるには多すぎて、冷蔵庫の中に入れっぱなしだった。

誰にも食べてもらえない、チェリーパイは、冷蔵庫の中で固くしぼんでいった。

まるで私みたいなチェリーパイを、見る気にさえなれなくて、

私はバターやらジャガイモやらで、チェリーパイの姿を冷蔵庫の奥底におしやった。







そんな日を過ごしていると、変化を携えた呼び鈴の音が、部屋に響いた。



呼び鈴の音に引き寄せられるように、(まるで操り人形のように私の身体はふわふわとして、おぼつかなかった。)

歩いていって、ドアを開けたらキャシーが立っていた。


ちょっと眉を歪めて、瞳は心配そうに私の顔をのぞきこんできた。

彼女の姿を見るのが、ひどく久しぶりな気がした。そういえば、酒場にはとんと足を向けていない。


入っていい?と遠慮がちに聞いてきた彼女の声は、わずかに揺れていた。

彼女の木々の葉を連想する透き通った瞳が、宝石のようにちらりと光っていた。





私の一番の相談相手である彼女は、私たちの様子がおかしいことに真っ先に気付いて、

心配して駆けつけてくれたらしい。

私は、どんな態度をとったらいいのか分からないまま、キャシーを招いた。


心の中を読み取ってくれる機械をキャシーが持っていたら、

私の動揺と迷いを知ったキャシーは、すぐさま酒場に踵を返すのではないだろうか。

そんな訳の分からないことを考えながら、キャシーのためにハーブティーを淹れる準備をした。

私の心の内とは裏腹に、ハーブティーは温かな湯気を生みながら、私の手の中で大人しくしていた。






「よし、オーケー。心の準備は出来てるから、話して。」


キャシーは私が席に着くと同時に、きっぱりとそう言った。

少し大きめの声。まるでそう言わないと、震えてしまうような、心変わりしてしまうような、そんな決心した声。


ハーブティーをキャシーに渡してから、私は反対側のイスに腰掛けた。

彼女はお礼を言って、ハーブティーをこくりと飲むと、まっすぐ私の方を見てきた。

私は一瞬、キャシーの宝石のような瞳に吸い込まれそうになった。



「・・・話すって?」


私が絞り出した言葉は、なんとも情けない声とともに、口からおずおずと出てきた。

なんだか恥ずかしくて、カップで口元を隠した。



「ごまかさないでよアカリ。最近のチハヤの仕事っぷりったらひどかったんだから。

例えばって言われたら、いくらでも出てくるくらい。

なにもなかったなんて言わせないからね。」





「・・・・・・・・・・。」




「ねえ、なにがあったの?」




カップの中の液体を睨みつけるように、私は見つめた。

小さく波紋をたてているその中で、情けない顔がこちらを見つめている。



キャシーになんて言ったらいいのか分からなかった。

私は、こういう場合どんな行動を取るべきなんだろう?


泣いて今までのことを話して、これからどうするか聞いたりとか。

そんなこと私には関係ないと、子どものように意地を張ってキャシーの瞳を困らせたりとか。





私の行動ひとつで、キャシーはどのようにも反応を変えてくれ、そして私が一番心落ち着けるように、

解決策を一緒に見つけようとしてくれるだろう。


そんなキャシーの姿を想像出来るからこそ、私は何も言えなかった。





何をしたらいいのか分からない。


だってチハヤは、私に言葉だけぶつけて去っていってしまった。

彼がこっちに帰ってきてくれるために、

私はどんな風に振舞って、帰りを待ったり、迎えに行ったりすればいいのだろうか。



ひどく簡単なことなのかもしれないのに、どうしたらいいのか分からないし、

もうそれについて考えるのは、私はとても疲れていた。






「ちょっとね、時間がほしいの。

・・・私もまだ気持ちの整理がついてなくて、うつらうつらと夢の中を歩いてるみたいで・・・。

チハヤに言われたこととか、彼の気持ちとか・・・そういうの、考えて、自分で結果を出したいの。

たとえそれがいい方向か悪い方向か、どっちに行くか分からなくても。」



私はキャシーの瞳を見ながら、ああ言えばいいのか、それともこう言えばいいのかと頭で考えていたのだけど、

結果私がキャシーに言った言葉は、ひどく幼くて、弱々しかった。





キャシーは、私を慰めてくれるような優しい瞳のまま、こくりと頷いた。

ハーブティーの湯気が、彼女の顔の輪郭をたどるように、ゆっくりとあがっていく。



私はその表情を見て、

ああ私はこんな風に言うことで、私自身の気持ちを再確認したかっただけなのかもしれないとそう思った。





疲れてしまったからこそ、私にとって、


チハヤの紫の瞳に見つめられることを諦めてしまうことが、

とても楽で、簡単な道のりに思えたのだ。



失敗してしまったチェリーパイの姿を冷蔵庫の中に押し隠すように、

私は自分の気持ちの上にも、バターやらジャガイモやらのような、何かを置きたくて仕方がなかったのだ。








本来の気持ちを取りだして、眺めて、これからについて考えるほど、

私はまだ強くなかった。









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