ごちゃごちゃする。


その気持ちをおさえようと、整理をつけようと思って、一歩でも早く足を動かした。

運動すると自然と早くなる心臓の音で、この気持ちを誤魔化してしまいたかった。



後ろから追ってきてくれた夏候と並んで、コンビニでガキガキくんを買ってもらった。

水色の、いかにも夏らしいガキガキくんを舐めると、ソーダのさっぱりとしたにおいが鼻をかすめた。


せっかくの報酬を口にしていても、さっきの光景がぐるぐると頭の中を駆け巡っていた。

見慣れた背格好、立ち方、しぐさ、大きめな手、風で揺れる髪の毛。

親しそうに笑う相手は私じゃない。知らない子。


一瞬を捕えた瞳の中で、その姿が消えなかった。繰り返し繰り返し、再生される。

身体の細胞のひとつひとつが、ぷちぷちと冷めていく。

これはきっと、ガキガキくんのせいじゃない。




「ガキガキくんうまい?」


夏候の声が聞こえる。

同じくらいの背。まだちょっと高めの声。童顔な瞳。

そのどれをとっても昭と似ているところがなくて。逆にいま、夏候と一緒にいてよかったかもしれない。

どれかひとつでも昭を思わせるものを持っていたら、私の気持ちはきっと、もっとかき乱される。


「うん。久しぶりに食べた。ありがとう。」



「ねえ。」


「うん?」


あの二人お似合いだった?


そう聞こうとして、その質問があまりにも馬鹿みたいだったので、やっぱり口をつぐんだ。



「・・・なんでもない。」


「なんだよー。」


ガキガキくんを口に含んだ。

少しぼんやりしている間に、ちょっと溶けてきている。



「うーん。俺思ったんだけど、さっきの二人さあ」


「元姫!」


夏候の声は途中で、別の大きな声にかき消された。


その声の先に、思わず振り向いた。

振り向く前から誰だかわかっていたけれど、それでもやっぱり驚いてしまった。



「また噂すればだな。」

「・・・・昭。」


二日ぶりに真正面から見た昭は、当たり前だけど金曜の夜となにも変わっていない。

ただ、走ってきたのか軽く息をついて、こちらを向く顔は明らかに不機嫌だった。



「・・・・・なんで、夏候と一緒にいるんだよ。」


「ガキガキくんおごってもらってたの。」


「だから、なんで。」


なんで、なんで、って。

そんなの私の方が聞きたい。

私の方が嫌な気分を味わっているのに、どうして昭の方がそんな顔をしているの。




「・・・・あなたこそ、誰かと用事があったんじゃないの?」


険悪な空気が流れた。

久しぶりに会ったのに、こんな空気しか作れないなんて。



「あー司馬。ここからはバトンタッチな。じゃあ俺は帰るから。」


そんな空気を敏感に感じ取ったのか、口を開いたのは夏候だった。



「ちょ、夏候。」


「そうだな、じゃあな夏候。元姫、帰るぞ。」


ガキガキくんを持っていない方の手を昭に掴まれ、ぐいっと引っ張られる。

昭に掴まれた部分が、痛いくらい熱かった。







**********





手を繋ぐというよりも、手首を掴まれたまま、昭はぐんぐん歩いていく。

相変わらず熱を引かない掴まれた部分は、皮膚がどろどろと溶けてしまったと思うくらい熱いままだった。


最近急激に成長した昭の背中が、やけに大きく感じた。

頭の中に疑問符が浮いているけれど、それでもこうして一メートルも離れていない場所に、

幼稚園の時から続いているこの距離に、昭がいることが単純に嬉しいと感じていた。





「昭。」


名前を呼ぶ。昭が、立ち止まった。

もうすぐ、二人の家が建つ住宅地にさしかかる場所。

すぐ近くには、よく遊んだ(今でもたまに二人で寄ったりする)公園がある道だった。


こっちを向く。目が合う。とらえられる。



「元姫。」


私は、昭が聞きたいことを問うて来る前に、自分から答えた。


「宿題を教えてあげたの。だから、そのお礼で、おごってもらっただけ。」


しかもガキガキくんだし。と付け加えた。

たんたんと、言葉がこぼれる。


「ふーん。」

「それだけ。」


昭の瞳が、私の瞳から手にうつる。


「溶けてる。」

「だって昭が、ここまでひっぱってくるから。」


ガキガキくんが、夏の空気に触れて、だらだらと溶けている。

初めは、キンキンに固まっていたガキガキくんは、半分になった身体から、さらに縮こまり始めていた。

その溶けていくさまが、昭に手首を掴まれて溶けていく私の皮膚みたいだった。



「それ、俺が食べる。」


「いいわよ。」


ひょいっと、手からガキガキくんを取ると、昭はしゃりしゃりと大口で食べ始めた。


「冷たっ。」


「そんな急いで食べるから。」


さっきまで重たかった空気は幾分か軽くなった。

いつもの調子の昭に、少しほっとした。



「昭は、」


言いかけて、なんて聞けばいいか分からなくて、言葉が出てこなかった。


どうして女の子と一緒にいたの?

クラスの子だから、一緒にいても何もおかしいことなんてないじゃない。


あの子となにしてたの?

そんなこと、私になにも関係もないし、昭が私に答える必要はひとつもない。


同じような問答が、私の瞼の裏でちかちかとしていた。






「同じ委員。」


ぐるぐると言葉が浮かんでは消えていく頭の上から、昭の声が降ってきた。


「え?」


「クラスで、同じ委員なんだよ。俺はめんどくせえからやりたくなかったんだけど、くじびきで仕方なく。」


「あ・・・そう、なの。」


「で、それ絡みでいろいろ話しかけられてたんだけどさ。」


すっかり食べ終えたガキガキくんの棒を、昭は公園のごみ箱にぽいっと捨てた。

がさがさと頭をひと掻きする。


「さっき、告られた。」


「え。」


ひゅ、っと背中にガキガキくんの溶けた液体が滑り落ちたみたいだった。

頭が一瞬、固まる。



ぐい、っと背をかがめて、昭が私の目の前に顔を出して、瞳を覗き込んできた。



「焦った?」


「・・・・・返事、したの?」


やっとの思いで声を出した。

声が変な音になってないか、震えていないかこっそりと確かめながら。




「断るに決まってるだろ。俺には元姫しかいないし。」


やけにきっぱりとした言い方をした昭に、私は金曜の夜のことを思い出した。

あの夜のキスのぬくもりが、まだ唇の上に残っている気がした。


「でも、わたし。」



「好きだよ、元姫。」


に、と笑いかけられる。


私の気持ちをなにもかも見透かされている気持ちになった。

至近距離で、昭の瞳の色に自分の姿を見ることさえ出来た。


昭の言葉に、今までのことがすべて壊される。


幼馴染として築いてきた関係だと思っていた気持ちも、

知らない女の子に昭が告白されたときのなんともいえないやるせない気持ちも、

この二日間ぐるぐると考えていた昭のいない時間を。




「・・・・不意打ちすぎる。」


ぽと、と言葉を落とした。

その言葉に、昭は困ったような、得意そうな、そんな笑い顔になった。


「なんだよ。俺は幼稚園のころから、お前一筋なんだぜ。」


ああもう、ほんとうにこの幼馴染はずるすぎる。


ふっと、身体から重いものが抜けていくような気がした。

今までちくちくと針のようにささっていた棘が、きれいに抜けてくれたような感覚だった。



「あのときに言ってほしかった。」


「覚えてると思ったんだよ。俺の告白を。」


「・・・幼稚園の時じゃない。」


「やっぱ覚えてた。俺の気持ちは、そっから変わらない。」



じっと、見つめられる。

夏らしいラムネのにおいが鼻をかすめた。

昭の視線に、掴まれた手首のように、私の心臓はどろりと溶けてしまいそうだった。



「・・・私も。」


ぽろぽろと言葉が落ちていく。

いつのまにか、喉の奥から転がり落ちてきていた。

言ったあと、自分の言葉にびっくりしたけれど、でもこの言葉が本心なのはよくわかっていた。


小さな声しか出なかったけれど、すぐ目の前にいる昭の耳にはしっかりと届いたみたいだった。



「じゃあ、やっと幼馴染から、恋人に昇格ってこと?」


昇格って昭は言ったけれど、

私がやっと、昭との関係を自覚した、という方が正しいかもしれない。



覗き込んできた昭の瞳を見つめながら、こくりと一回頷いた。


手をそっと触れられる。

指の先から熱が伝わってくる。きゅっと、握られる。

手を繋ぐことなんて、これが初めてじゃないのに、どくどくと心臓が跳ね上がる。





「キスしていい?」


昭の瞳が、明るく光る。子犬みたい。


「調子いいんだから。」


「なんだよー。だめならそう言えよな。」


「・・・・だめとは言ってない。」


「ほんとか?」


「でも外ではだめ。」


「じゃあ、元姫ん家で。」


手を繋いだまま、私たちは公園を横切った。

昭の家を通りすぎて、ふたつ角を曲がると私の家がある。



「今日は、ドアから入ってよ。」


「はは、今日はな。」



明るい昭の声が、耳に響く。

私も昭につられて、口角を上げて、目を細めた。笑い声が口からこぼれていく。


昭の手から伝わる熱は、相変わらず溶けそうなほど熱く、温かかった。

今まで何度も手を繋いだけれど、この瞬間が一番優しく、力強く感じた。




きっと、今日のキスの味は、淡い夏の味がするのだろう。









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