キリクとの沈黙の関係が続いてから、二年と少しの間が流れた。


時というものは、さらさらと流れて、あっと思ったらいつの間にか向こうの方へ行ってしまう。


キリクとハヤテとの関係に、逃げることも追いかけることもやめてしまっていた私は、

二年という月日の間の中で、少しずつ牧場主として成長していった。

初めてきたときよりも大分仕事にも慣れ、

ふたつの村を行き来することで、すっかり住民の方たちとも親しくなり、

少しずつではあるが、豊かな部分も生活に現われ始めたころだった。



そんな中で、ちらほらと同じ年頃の友人たちが、婚姻したり結婚したりし始めた。


小さな村なので、結婚式は村人全員が集まって、盛大な雰囲気で行われた。

誰もが、新生活をスタートさせる二人をお祝いし、二人の間に流れる空気は幸せ以外のなにものでもなかった。



二人の幸せな気持ちを膨らましてもらいたくて、

お祝いカードには精一杯、一文字一文字丁寧に書いて、二人に渡した。


にこりと笑う二人の姿が、なによりもきれいで、そして幸福そうに輝いていた。

二人の幸せが空気に混じって、きらきらとまぶしい粉になり、あたりに降り注いでいるようだった。



幸福な気持ちを分けてもらいたくなって、

きらきらの粉がありそうな場所に、そっと手を伸ばしたりしてみた。








『とってもきれいだったね。』



『そうだな。』


結婚式が終わったあと、キリクと二人で私の家でお茶を飲んでいた。


結婚式で味わった幸せな空気とふわふわとした気持ちを抱えたまま、

二人でお茶を飲んでいると、なんだかキリクと結婚したかのような錯覚を味わうことができて、

私はこっそりと、幸せをかみしめていた。




『幸せそうで、二人が光って見えちゃったよ。』


私の文字を見たキリクが、口をあけて、目を細めた。

はは、と笑っているのだろう。


月日の積み重ねは、キリクの小さな癖やしぐさ、細かな表情のそのひとつまで、

拾いあげることができるまでになっていた。




二年前からずっと、心の中にそっと隠していた気持ちは、

月日の流れに比例するかのように、まるで風船みたいに少しずつ膨らんでいった。




ペンをくるくると回しているキリクは、少しぼんやりとしているようだった。

淹れたばかりのお茶は湯気を出して、彼の肘のあたりが少しぼやけて見えた。



私は、彼の瞳がこちらを向くように、私は彼の肩をちょんちょんとつついた。

うん?と彼の瞳がこちらを向いたら、私はさらさらとペンで言葉を紡いだ。


『なにかあったの?』

その文字を拾い上げて、彼は小さく笑った。


さっきまで、くるくると回していたペンを握ると、私の文字のすぐ下に言葉を書き始めた。


『チセには、なんでもお見通しだな』


『長い付き合いだもの』


また、キリクは小さく笑った。

目が合う。キリクの瞳はいつも、優しさと強さを秘めている。


キリクは、小さく口をあけた。きっと、息をついているのだ。

吐き出る音が聞こえなくても、彼の吐き出した空気が、ゆっくりと空気に沈殿していくのが私には見えた気がした。




『じゃあ、ちょっと相談してもいいか?』


文字が紙の上に現われる。

キリクがこんな風に、相談を持ちかけてくるのは初めてだった。

もう一度、目が合う。

私は、こくりとうなずき、その気持ちを確かめるように、紙の上にペンを走らせた。



『ええ、どうぞ』




キリクは、ちょっと考えながら、ペンを握りしめた。

どう言い出せばいいのかわからないといった感じだった。


私は、まだ湯気が残っているお茶を少しすすった。

その間、彼は悩みながら、そろそろとペンを走らせた。




『親父から、こっちに来ないかって誘われてるんだ。』



キリクの文字を見た後、

まだ、手を熱くする湯呑を、私は思わず落としてしまいそうになった。

声が出なくてよかったと思った。

けして小さいとは言えない叫び声が、きっと上がったはずだから。



もう一度、キリクはペンを握った。


彼の父が今どんな町で暮らしているか、どんな馬と一緒にいるか、

キリクのお父さんの手紙に書いてあったことを、キリクはぽつりぽつりと私に教えてくれた。


彼の文字の作り方は、今までのどれとも違っていて、

それだけで、彼がこのことを真剣に考え、ずっと悩んでいることが分かった。

彼の気持ちを表すように、文字はくらげのようにゆらゆらと揺れていた。



書き終わり、紙の上にペンを置いた後、キリクは私の瞳をじっと見つめた。





『どうしたらいいと思う?』




私は、しばらく彼の文字を見つめていた。


この文字が、どうにかして違う意味の文字に変化しないだろうかと願っていた。

けれどそんな魔法、ただの牧場主の私が叶えれるわけなくて、

キリクの文字は、私がいくら見つめても、なんの変化も起こさなかった。




私の身体は、衝撃をすべて受け止めて、ひとつも動けなくなってしまったかのようだった。

指の先に力を込めようにも、ペンを握ることができなかった。



さっきまで心に抱いていた、光の粉が舞う幸せな気持ちは、

風船のようにどんどんしぼんでいってしまった。


いまこそ、この空気の上からきらきらと光る粉が舞ってほしいのに。



紙の上でも沈黙になった私たちの間で、

ただお茶に残る湯気だけが、ちいさくゆらゆらと揺れていた。










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