こんこんこん。 ドアを叩く音。 つつましく静かに、部屋に響く音。 ヒカリの小さな手から生みだされた音を、耳で拾い上げて、 本のページをめくる手がぴたりと止まった。頭までぴたりと制止してしまったかのようだった。 ドアの向こうにいるのはヒカリだ。 ドアの叩き方。音、リズム。 それだけで、もう彼女だって分かるくらい、ヒカリは何度もこの家に訪れてくれた。 こんこんこん。 もう一度、音が鳴る。響く、響く。耳の中が、その音でいっぱいになる。 はっとなって、魔法使いはドアの前に立った。 どんな顔をして、彼女と会えばいいのか分からなかったけれど。 それでも、ほとんど家で過ごしている自分が、居留守を使うのはあまりよくない気がした。 嘘だって、ほとんど言っているようなものなのだから。 ギィ、と小さく音を立てながら、ドアを開けた。 ヒカリの周りだけ白く光っているみたいだ。それだけ彼女が自分にとって、新しくて特別だった。 「こんばんは、魔法使いさん。」 「・・・・・やあ。」 ヒカリはいつもと変わらない。 微笑みながら、こちらを見上げている。その顔を見たら、ぽんぽんと頭に触れたくなる。 ふわふわの髪の毛も、薄紅色をする頬も、白い手足も、 ちょっと高めで、やわらかな声も。ぱちぱちとした睫毛も。 いつもと変わらなくて、そんなヒカリのすべてに引き寄せられそうになる。 彼女の一喜一憂に。言葉に、行動に。 自分の心が、ちょっとずつ変化していく。胸がちくちくする。 本にも書いてなかった。師匠も教えてくれなかったこの感情を、どうしたら抑える事が出来るのか。 いまだに、魔法使いは分からなかった。 「最近、牧場が忙しくて、なかなか来れなかったんですけど、やっと落ち着いたんです。 あ、これ、よかったら食べてくれませんか?作ってみたんです。」 ヒカリが、ヒカリの、その行動を。 自分のためにしてくれることとか、一緒にいてくれることとか、その仕草とか、 すべてが瞼の裏に焼きついて離れなかった。 ヒカリの笑顔を見ていると、こっちまで嬉しくなってくる。 差し出している包みを見ながら、魔法使いはぎゅっと心臓を掴まれたような気分になった。 魔女のエッセイの言葉を思い出したからだ。 人を好きになれば、かならず訪れるのはその人の残した影と孤独だけだ。 彼が私の元からいなくなってから、カレンダーについたしるしは24056こ。 一瞬の幸せのために、私は一生の孤独を掴むことになった。 ぎゅ、っと唇をかみしめる。ヒカリに気づかれないように。 「・・・・魔法使いさん?」 きょとんとこっちを見てくるヒカリの、残りの命の灯の長さと、自分の灯の長さは、 きっと大きな違いがあるのだろう。自分の寿命は分からない。 ただ、ヒカリよりもとてつもなく長いことだけが、分かっている。 今、この手を取ったら? 目の前にある、白くて小さな手にそっと触れることは簡単だ。 ただ、伸ばして、触れて、一緒に過ごして、その先に見えるものを魔法使いはよく知っていた。 一緒に暮らすとか、一緒の道を歩くとか、人ならば、出来ること。 もちろん自分にもできることだ。 でもそれは、いつかくる日に、その影におびえながら暮らすことになる。 それは人よりもとても大きな影になる。 自分はこの先ずっと、ヒカリの影を追いながら、一緒の星になることもできずに、 ただずっと空に浮かんだヒカリを見て過ごすのだろうか。 そんなのは、とてもじゃないけれど、耐えられそうになかった。 「・・・・・ごめん。」 「・・・・・え?」 「・・・今日は調子がよくないんだ・・。・・・・悪いけど、帰ってもらえないか?」 「そうなんですか?ごめんなさい、私ったらいきなり尋ねちゃって。」 「いや・・・・」 「じゃあ、帰りますね。あっ、そうだクッキー。渡しても大丈夫ですか?」 「いや、しばらく食べれそうもないから・・・。傷んだらもったいないし、誰か別の人に・・・・チハヤとか。」 「・・・・・・・・・え?」 「・・・・じゃあ。」 バタンとドアを閉める。 ヒカリの顔が見えなくなる。戸惑った顔。ちょっと悲しそうにも見えた。 でも、これでいい。 彼女は、彼女の生き方をしてくれたら、それをこっそりと影からのぞくことができたら、 それだけで自分は十分だ。 彼女が幸せな人生を歩む中に、自分は必要ないのだから。 そう、思う。心から、そう思う。 なのに、胸の中は締め付けられたままで、苦しくて魔法使いは小さく息を吐いた。 |