信用していないわけじゃない。

でも、信用とはまた違う分類のどこかで、胸がちくちくする。

私には向けない笑顔で、微笑みかけてるんじゃないかって、そう思うときもある。


こっちを向いて。

あの子じゃなくて、私を見て。


身体の中が、じわじわと色を変え、浸食される。

それは間違いなく、ねっとりとした負の感情の色。

そんな色にしか染まれない自分のことを、嫌いになりそうになる。




ねえ。ねえ。ねえ。


こうなったのはすべて、あなたのせいよ?








*******************







引っ越しをしてから、ずっと手紙を書いていた。


トンネルを通れば、すぐ着く距離だけれど、

二人とも手が離せない仕事を抱えているときとかに、よくペンを取った。

少ない時間にしか会えないときでも、手紙を書いて距離の隙間を少しでも埋めようとした。

キリクの手紙を読むことが好きだった。

ディルカくんが、キリクの手紙を携えて家に訪れたとき、キリクが来てくれたみたいな錯覚に陥ることもあった。


どんなに短くても、文字を追うだけで、心が満たされた気持ちになった。

だから、便箋に自分の今の気持ちを書いてしまえばいい。

ぐちゃぐちゃでどうしたらいいか分からないこの気持ちを、なんとか偽の言葉でもいいからそれに乗せて、

白い紙の上に、ぶちまけてしまえばいい。そうすれば、少しはすっきりとするかもしれない。


そう思うのだけれど、手はペンに手を伸ばさない。

書きたい文字が浮かばない。


何も書いていない便箋をぐしゃぐしゃにして、私はごみ箱の中に放り投げた。



気持ちが爆発しそう。


ただ、好きなだけでよかったはずなのに。

どうして、こんな気持ちにならなくちゃいけないのだろう。


ねえ、これは私のせい?





初秋を迎えて、私の仕事の忙しさは目まぐるしくなった。

このはな村にまで畑の世話にいく余裕もなく、ばたばたとしていたので、

あのもやもやが、残ったままのデートから、私はキリクと会っていなかった。


これでよかったのかどうかは分からないけれど、

会ってもきっと、なんて言えばいいのか、頭の中で言葉を探して、口をもごもごさせているだけかもしれない。


でも会えないからこそ、キリクとラズベリーちゃんの会話を頭の中で繰り返したり、

私と会っていない中でも、もしかしたら二人は会う機会があったかもしれないなって思ったり。



雲の上で、両手でバランスを取って歩いているみたい。

どっちに考えても結局、ふわふわとしていて、いつ空の中に落ちてしまうかと怯えているのだ。


それでも、仕事が忙しいおかげで、そればかり考えている暇がなくてよかった。

動物たちと向き合うとき、ただ一心に仕事に打ち込むと、考えているのが馬鹿みたいに思えてくるから。



汗にまみれながら、仕事に打ち込んでいると、気付いたら今日の仕事のほとんどが終わっていた。

ふっと、息をつく暇ができた。という感じで、その瞬間はすとんと、やってきた。


汚れた手を洗い終わって、

ちらちらと目の端に見えていたものが、なにかなっと思って、ふっと顔を上げた。



これって、前のデートの時のデジャブ?って思うくらい、(そう笑っちゃうくらい同じように)

キリクがこちらに向かって歩いていた。



どうしよう。


可笑しいと思うけれど、私がまず気にしたのは、

もやもやとしていた気持ちがあるままキリクに会ってしまったことよりも、今の私の姿だった。

自分の姿さえろくに見ずに、仕事に駆けまわっていたものだから、きっと今の私は目もあてられない。

汗まみれで、髪の毛なんてどうなっているか。あほ毛がたくさん舞っているかもしれない。


顔にも泥がついてるかも。ぱっと、頬に手をあててこすったり、意味もなく服をぱたぱたと払ったりしながら、

私はキリクが、ここまで来るのを待った。




「久しぶりだな。」


相変わらずキリクは、ぱっと周りが明るくなるような声で、私に話かけてくれた。

きっと、の前のデートにもやもやしてるのは、私だけ。そう思わせる声と表情だった。



「ええ。ねえ、私。顔になにもついてない?」


ん?っという顔をされて、まっすぐに顔を見られる。

馬鹿だな。そんなこと言うんじゃなかった。

どんな顔をしたらいいのか分からず、ちょっと眉が曲がっちゃったかもしれない。


「ついてないぜ。」


「そう。よかった。」


そっけない声しか出せなかった。


喉元で私の声が、そういう感情にしかならないように操作されているみたい。

目だって、まっすぐにみれない。迷子みたいにきょろきょろしてる。




「どうしたんだよ、チセ。」


そういった私の態度を、キリクはすぐに見つける。

彼はいつだって、私をまっすぐに見ているからだと思う。

私は、もごもごと口を震わせた。



「別に…。」


せっかく会えた。声が聞けた。キリクがこっちを向いてくれた。

なのに私は、可愛げのない顔や言葉しか作ることができない。

視線を合わせることができない。

可愛くない。こんな態度取りたくない。

いつもキリクの前では、笑顔でいたい。そう思ってたのに。


どうしても、ラズベリーちゃんと親しげに話すキリクの顔が、頭の四隅に張り付いて、

私の言葉を作ることを、邪魔している。



キリクのせいよ。ねえ?わかってる。


可愛くない言葉しか生まれないの。

ただ、ただ、私だけを見てほしい。彼女は私でしょ?


なのに、どうして私よりもラズベリーちゃんの方が親しく見えるの?



なんて言えばいいのか、分からない。言葉にならない。

身体の中に沁みこんだこの色が、何色なのか分からない。


ぐちゃぐちゃする。




「俺、なにかしたか?」


キリクが、私の顔を覗き込んでくる。

喉元まで出かかっている言葉は、声にならなかった。



「とにかく、家で話そう。いいか?」


私は、こくりと頷いた。

手を引かれる。こんなときで、キリクと手が触れ合ったことにどきりとした。

思っていたよりも熱い体温に、指の先が溶けてしまいそうだった。



家の中に入るまで、私はどうやってこの空気を前みたいにすればいいのか、うんうんと考えていた。

だから、家の中に入ってから、キリクが、いつの間にか緑茶を入れてくれていることに気付かなかった。


ちょっと瞬きをしている間に、目の前に暖かな湯気を生む緑茶が出てきている、という感じだった。


「で、チセ。どうしたんだよ。仕事疲れ…じゃないよな?」

「…ええ。」


言葉が喉に張り付いている。

重い声で頷くのが精一杯で。

でも、キリクの心配そうな顔を見ていると、

私が何かを言わないと始まらないということは痛いほどひしひしと伝わってくる。


口を開く。小さく空気を吸った。





「気になってること…が、あったの。」



「うん?」


もう一度、息を吸う。小さく、深く。

キリクが淹れてくれた熱い緑茶の湯気も、一緒に吸い込んだような気がした。



「…キリクのこと…。」


「俺のこと?」


あきらかにびっくりした顔をして、キリクがぱちぱちと瞬きをした。

不意を突かれたようで、目を丸くしたまま、私から視線を外さなかった。


「ええっと、なんて言ったらいいか分からないの…。キリクの気持ち…かな。」


もごもごと、私は言葉を紡いだ。


こびりついた錆みたいな言葉たちを、無理やり剥がしたもんだから、

ぼろぼろと欠けていたりと、ひどい有様だった。






「俺の気持ち、分かんないか?」


「え。」


目が合う前に、キリクの顔が目の前にきていた。

ふわりと、空気が舞う。

気付いたときには、唇に温かな感触が残っていた。





「な?」



「…分かんない。」

私はただ、唇に手を置いて、瞬きをすることしかできなかった。



「なんだよ、お前。意地悪するのか?」


「違う、だって。」



くっと、喉が小さくなった。

ずっと溜まってたわだかまりが言葉となって、決壊した音だった。


「ラズベリーちゃんは…?」


「なんであいつが出てくるんだよ。」


「だって、親しげだったじゃない…。」



そう言葉にしただけで、胸の中のもやもやが頭をもたげる。

本当に可愛くない。分かっているのに、そういう態度しか取ることができない自分がいた。



「違うよ。あいつも馬と生活してるだろ?俺に勝手にライバル意識持ってるんだよ。

でもまあ、確かに、あいつとは情報交換する機会もあったから、気安く声をかけてたかもしれないな。」


分かっているつもりだった。

でも、キリクの声で、言葉で聞くことと、自分の気持ちの中で信じることとは、また違った。



「心配かけてごめんな?」


キリクの言葉は、すっと心に沁みた。

やっぱり、信じなくちゃいけなかったんだ。そう思った。



「ううん。私が勝手に不安になってただけ。」


馬鹿みたい。私、馬鹿みたいだ。

でも、正直な気持ちをぶちまけなくっちゃいられないくらい、不安だった。

ずっと傍にいられるわけじゃないから、距離の分だけ寂しさがまとわりついた。


私は、目を瞑って、ただキリクの姿だけを思い出さばよかったのかもしれない。

吐き出した気持ちをそっと、包み込んで受け取ってくれるから、

私はまた、キリクをまっすぐと見ることができる。


今度は、かちりと目があった。

キリクがふっと、笑う。ああ、私が好きな笑い方だ、とそう思った。

きゅっと、指の先から包まれるように、手を握られる。



「好きだよ。」

耳に沁みこむ、声。思わず、目を瞑った。


「お前だけだ、チセ。」


「…ありがとう。」


ふっと、気持ちが軽くなった気がした。


これから先、もしもまたもやもやが、私の身体にはびこっても、

このときの気持ちを思い出せばいいのだと、そう思った。




「なんだよー。ここは、私も。って言う所だろ。」


「違う、嬉しくて。…恥ずかしくて、今は言えない。」


はは、っとキリクの声が、部屋の中で響いた。

手が伸びてきて、髪の毛をくしゃくしゃにされた。



ああ、やっぱりキリクが好きだ。そう思った。






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