もう夏に入ってからいくらか日が経つので、 夜といっても蒸し暑く、じとじととした空気がぴたりと肌に張り付いて、気持ち悪かった。 網戸の隙間から流れてくるささやかな風と、 扇風機の力ではそろそろ限界な季節だなとぼんやりと思っていた矢先、網戸が突然がらっと声を上げた。 ぬっと、外の世界から顔を出してきたのは、 泥棒でも不審人物でない(あ、でも住居侵入者か)よく見る顔の持ち主だった。 「よお、元姫。」 ぽん、と名前を呼ばれる。 人よりも大柄のくせに、けして大きめではない窓からすっと身体を通らして、昭はこちらをにかっと見てきた。 歩いて5分もかからない、所謂ご近所さんに住んでいる昭は、 こうしてしょっちゅう器用に二階の窓からやってくる。 「もう、窓から入ってくるのはやめてよね。」 「俺にとっては、ここがドアだよ。」 「バカじゃない。」 こんなやりとりも、毎日しょっちゅうやってる。 昭がこうして、いきなり窓から入ってきたりするから、四六時中という言葉の方が正しいかもしれない。 (昭が窓から侵入してくるようになってから、私は部屋で着替えをすることをやめた。) 「せめて携帯にメールしてくれたらいいのに。」 「いま、充電切れてるし。元姫なら俺がくるの分かると思って。」 「意味わかんない。」 「だから、テレパシーだって。わかる?」 「全然。」 昭との出会いは、幼稚園に入る少し前から。 父親同士が上司と部下の関係で、家族同士での交流がよくあったのと、 年が同じだったということもあって、気付いたら、よく隣にいるようになっていた。 よくある幼馴染ってやつ。 おかげでいつも私は、昭の世話を焼く立ち回りをするばかりだった。 昭は、自分の部屋のように私のクッションをお腹の上に置いて、ベッドを背にしてくつろぎはじめた。 最近急に身長が伸びた昭は、前から身長差がつきはじめていたけれど、 もうその差を数えるのも嫌なくらい、ずいぶん背丈の差がひらいていた。 そういえば、成長痛で痛いからって部屋に来てずっと寝てる日もあった。 (痛いなら、自分の部屋で寝ればいいのに。) 「なあ、元姫。もう、どの高校行くか決めたか?」 「前から変わらない。」 「ならよかった。俺と一緒だな。」 「・・・今のままで、大丈夫なの?」 毎日授業中寝てたり、さぼったりばっかりじゃない。 と言おうとして、やっぱりやめた。この言葉は、昭の耳にタコができるくらい言っているのだ。 いいかげん、私の口もその言葉を言うことに飽きている。 「なめんなよ。俺は大器晩成型なんだ。これから頑張るんだよ。」 この言葉は、私の耳にタコを作ってる。 実際本当にそうだから、ムカつくのだ。 世渡りが上手いというか、要領を得ていて、本当に自分が必要としていることは落とさない。 昭は、勉強机に座っていた私の方を見ながら、ぽんぽんと隣をたたいた。 私はやりかけの問題集をパタリと閉じて、昭の手が指定した場所に座った。 くっつきそうでくっつくない距離。 でもすぐ、昭によってその距離は縮められる。 ふっと瞼の上に影がかかったかと思うと、昭の顔がすぐ近くにくる。また、すぐ縮められる。 唇にキスを落とされる。ついばむように、数回触れあう。 昭とのキスはじゃれあってるみたいだ。軽くて、触れてるかどうかわからない。 でも、昭とキスしたあとは、ほんのりと唇が温かかった。 お互いの唇が離れたとき、至近距離で目が合った。 ふっと、昭の目が笑う。まるで、無邪気な子犬か小学生みたい。 「中学卒業する前に、やっちゃう?」 笑ってこっちを覗き込んできながら、そう昭は言った。 「は?」 前言撤回。こんなこと、小学生の時の昭は言わない。 「分かんない?」 意味は分かるけれど、 軽いキスから、どうしてそんな話になるのか分からなかった。変態親父じゃあるまいし。 「ひっぱたくわよ。」 冗談でしょ、という意味も込めて、私はそう言った。 私の言葉に、昭は唇をとがらせた。 「なんでだよ。俺ら長い付き合いじゃん。」 「幼馴染に手をだす趣味があったのね。」 「違うって、彼氏彼女としてだって。」 「どうゆうこと?」 「え?」 一瞬の沈黙。 先に言葉を絞り出したのは、昭だった。 「ちょ、元姫ちゃん元姫ちゃん。いまなんて?」 「そもそも、付き合ってたのって話。」 「キスしてんじゃん。」 「小さい頃からしてるじゃない。」 「そーだけど!ガキん時とは違うだろ。ほら、もうおれら青春まっさかりの中3だぜ?」 「だから?」 「だーかーらー。おのずと関係も変わってくるって話。」 また、沈黙が流れた。 昭は私の顔をまた覗き込んで、首をかしげた。 「だろ?」 顔が近い。距離を縮められる。また、キスされるのかと一瞬思った。 だって、そんな風に言われたって。 「私にとっては、昭は幼馴染のままなんだけど。」 昭の表情が変わる。眉をひそめて、私の顔を見てる。 「元姫にとって、俺は幼馴染ってゆーだけ?」 「そう。」 「なんだよそれ。」 「だって、そうじゃない。」 目が合う。私を射抜こうとするような目だった。 睨みつけられてると言ったほうが、いいかもしれない。 昭は、不機嫌な声を出した。 「俺は違うんだけど。」 「・・・・・。」 嫌な空気が流れた。 いつもの言い合いよりもちょっと重たい空気だった。 どうやって、この空気を取り除いたらいいのか分からなかった。 「はああ。まあいーや。もう、めんどくせ。俺、帰るわ。」 昭はいきなりそう言って、頭を掻きながら立ち上がった。 ぽんと、昭が持っていたクッションを、こっちに投げられる。 クッションを受け取って昭の方を見ると、もうこちらに背を向けて、窓から身体の半分を出していた。 「ちょっと、昭。」 呼び止めようと声をかけたけれど、ひらひらと手を振られて終わりだった。 昭は、いきなり現われたのと同じように、さっさと部屋から去っていった。 なにそれ。 台風みたいにやってきて、爆弾発言して、空気を悪くして、また台風みたいに去ってくなんて。 ほんとに、意味わかんない、意味わかんない。 |