むかむかとした気持ちが治まらなかった。



キルシュ亭を出た後で、あたしは早足に牧場に戻った。

バカみたいだ、と思いながら、でもやっぱりチハヤの行動が許せなかった。悲しかった。




ヤケクソになって、あたしは畑に生えていた雑草をむしり取り始めた。

なにかしていないと、頭の中がパンクしそうだった。



バカみたいだ、本当に。

あたしってこんなにバカだったっけ?







どうして、こんなにむしゃくしゃして、虚しい気分を味わっているのだろうか。

あんなの普通のことじゃないか。

手の平の大きさを比べあったりすることなんて、たとえ付き合ってなくても、別に不思議なことじゃないのに。





チハヤが言っていた話とはなんだったのだろうか。

チハヤが嫌がっても、あの時、マイとチハヤの姿を見る前に、聞いておけばよかった。

今、考えても、どうしても良い話だとは思えなかった。




一つの仮説を思い浮かべるたびに、

マイに触れていたチハヤの手のひらが、くっきりとした映像になって頭の中を横切っていった。



それは、鮮やか過ぎるくらい鮮明に、あたしの瞼の裏に焼きついていた。





すっと、ふたつに溶け込んでいるようだった。

二人の手のひらは、まるで二つで一つのように、とてもぴったりでお似合いだった。





雑草を全部抜き終わって、あたしはその場に腰を下ろした。

何も着けていない手が、泥だらけになっていた。爪の中に土がこびりついている。





この手が、あたしの手が、チハヤの手とぴったりだなんてとても思えなかった。

お似合いだなんて思えなかった。




そんな泥まみれの手を眺めながら、あたしは、いつの間にかぽろぽろと涙を流していた。

自分の涙にびっくりしながら、でも拭う気にもなれなくて、あたしは自分の頬を濡らす涙をほおっておいた。


冷たくて、痛かった。何も感じたくなかったし、何も考えたくなかった。

どうしたらいいのか分からなくて、あたしは畑の中で座り込んだまま途方に暮れることしかできなかった。








「アカリ。」




突然、後ろから聞こえた声に、あたしの肩がびくっとなった。

驚いて、後ろを振り向く前にふわりと頭に手が置かれた。

緩やかな体温が手を通して、あたしに流れてくる。チハヤの手だ。





「チ、ハヤ・・・。」




泣いていたせいで声がかすれてしまった。




どうして、今ここにいるの?


いつからそこにいたの?





そんな疑問が頭の中に浮かんだけれど、びっくりして、一瞬頭が真っ白になってしまった。

こんな顔を今チハヤに見せたくなくて、

あたしは慌ててチハヤに背を向けたまま立ち上がると、両手で真っ赤な目や鼻を隠した。






「アカリ。」




ぐいっと、腕を掴まれて手を離すようにうながされたけれど、あたしは小さく首を振った。


泥だらけだった手で顔を覆ったから、きっと顔には泥がついているだろうし、

なによりチハヤのことで泣いてしまったのに、

その理由を聞かれたって、今のあたしには答えられるわけがなかった。




後ろで、チハヤが小さく溜息をついた。

それだけで、あたしはなんだか居たたまれない気持ちになった。




「とにかく、中に入ろう。」



チハヤの言葉にこくりと頷いて、二人であたしの家に入った。


やっぱりこんな時でも、チハヤはあたしの腰に手を回してきた。

それですごく安心するのだから、あたしももう本当に末期だ。




中に入ると、チハヤにうながされて、あたしは洗面台の前に立たされた。


後ろからぎゅっと腰を掴まれて、身動きをとらしてくれなかったから、

あたしは仕方なくチハヤに顔を見せないように手を顔から離して、蛇口をひねった。


土のにおいがしていた手を水ですすぎ落として、真っ赤になっているであろう目や鼻を洗う間、

チハヤはぎゅうっと、あたしを後ろから抱きしめて離さなかった。





「どうして泣いてたんだい?」




すぐ隣で、あたしに頬を寄せるように顔を近づけてきて、チハヤはささやいた。

言の葉が痛いほど耳に響いた。

それは、熱を持っていると錯覚するほど熱くて、あたしを捕らえて離さなかった。


あたしは、顔を見られたくなくて、黙って俯いていた。




「ねえ。」



チハヤは片方の手で、あたしの髪の毛を軽くひっぱって顔を上げさそうとしたり、

わざと身体を揺らしたりして、ひどく楽しそうだった。




「分かってる、んでしょ。」


「ふふ、ばれた?」




さも悪気がなさそうに、にこりと笑って。


あたしの手を掴んだチハヤの手は、鏡の前のあたしに見せ付けるようにひらひらと振ってみせた。

あまりにも無邪気で、でも意地が悪くて、

あたしは泣いてしまったことも含めて、だんだん腹が立ってきて、鏡の中にいるチハヤを睨みつけた。




「なんで。」



「だって、アカリが悪いんだよ。」




ぎゅっと、力強く抱きしめられた。

苦しかったけれど、鏡に映ったチハヤは、そんな抗議を聞き入れてくれるような雰囲気ではなかった。


「アカリだって、同じようなことしたじゃないか。」


「え?」


「昨日だよ。」

「・・・・・・。」



昨日、なにをしただろうか。

一瞬考えあぐねた後で、あたしは軽く瞬きをした。

パチリと鏡に映るチハヤと目があった。射るような瞳だった。





「・・・あれは、ただの遊びじゃない。」


「そうだね。でも、僕のだってそういうのだろ?」

「・・・・・・・。」



ただの腕相撲とただの手比べ。

本当だ。ただ、それだけだ。



なのに、どうしてこんな気持ちになったのだろうか。


もう、二人とも末期症状で、特効薬の副作用が効きすぎているのだろうか。

あたしもチハヤも。二人だけじゃないと、いけなくなってしまったのだろうか。





「チハヤ。」


「うん?」



あたしの声に、反応してくれる。優しい声音だった。それだけで、安心してしまう。


まだ、背中にある温かさに、やっぱり愛おしさが込み上げてきた。

これから先も、こんなささいな事で、でもあたし達にとってはささいではなくなるようなことが起こるのだろうか。


それでもいい気がした。でも、それじゃいけない気もした。

こんがらがった糸のように、頭の中がごちゃごちゃだ。




「話って、なんだったの?」



内緒話をするみたいな口調で尋ねながら、身体を後ろに傾けて、あたしはチハヤの体温を感じようとした。

近くにいればいるほど、なぜかチハヤが遠くにいるような気がした。


けれど、離れたくなかった。




「それは明日話すよ。もう、戻らなきゃ。休憩時間過ぎてる。」


「・・・うん。」




手は繋がったまま、チハヤはあたしから離れた。


ゆっくりと手が離れて、名残惜しさが尾をひいた。くしゃりと頭を撫でられる。

あたしはたまらなくなって、また泣きそうになった。




チハヤの後ろ姿を眺めながら、やっぱりあたしたちは可笑しいのだとしか思えなかった。











(いっそ、ひとつになってしまえばいいのにね。)



 

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