「元姫。」



よく通る声と軽快な足音と共に、昭が元姫の部屋を訪れたのは、実に三日ぶりだった。

元姫はこの三日、風邪が長引いたせいで、自室で療養をしていたのだ。

その間の見舞いを、許婚であるにも関わらず、

お前が顔を出せば余計に風邪をこじらせるだけだと兄を筆頭に止められていたので、

元姫の調子が大分回復したと聞いて、

昭はやっと、元姫の部屋に顔を出すことを許されたのだった。



「・・子上殿。」


三日ぶりに会った元姫は、寝台の上にこそいたが、上体を起こしており、

いくらか調子が戻りつつある顔をしていた。

寝着の上に、羽織衣を肩にかけただけの元姫の姿は、

昼間はいつも衣服をかっちりと着ている彼女とは、違う雰囲気を帯びていた。

昭は元姫のそばまで行き、寝台の脇の椅子に腰かけ、明るい声で彼女に話しかけた。


「どうだ、調子は?よくなったって聞いて、やっと見舞いに来れたんだ。」


「ええ、だいぶ。面倒だ面倒だと愚痴を言う人がいなかったおかげかしら、ね。」


口調も相も変わらず、さばさばとした物言いに昭は口をとがらせた。



「なんだよそれ。俺に会えなくて、寂しかっただろ?」


「さあ、どうかしら・・。」


昭の言葉に、元姫はあっさりとした言葉を返した。

久しぶりに会う許嫁に対してちょっと冷たいその言い方も、昭にはもう慣れた言葉だった。


元姫の言葉はいつもの照れ隠しだろうと自分なりの解釈をした昭は、

さして気にもせずに、見舞いの品にと持ってきたものを、すっと元姫に差し出した。



「手折ってきたんだ。一番いい顔をしてたやつ。」


そう言って、昭は元姫に紫陽花の花を見せた。

澄み渡る空のような薄青色に染まった紫陽花の花は、

みずみずしさをそのままに、昭の手の上にうずくまっていた。



「こんな手折り方をしたら、水に差せないわ。」


まったくしょうがないのだから。と小さく息をついて、元姫は昭から紫陽花の花を受け取った。

元姫の白い手の上を覆うように、紫陽花の花は顔を向ける。


そのひとつひとつの花の愛らしさが束になったそれは、外で咲いていたときと同じであろう麗しい顔を見せている。

けれど、昭の手折り方はまさに適当で、花の顔のみで茎の姿はほとんど見えず、

まさにちぎってきたという表現の方が正しいといえるだろう。

ちぎられた紫陽花が鮮やかな彩りを見せ、顔を上げていることができるのは、おそらく半日ほどだろう。



「でも、きれいだろ?」


昭は、へらりとした口調でそう言った。

半日で縮みゆく花の行く末を思うよりも、

今あるその姿を元姫と愛でることの方が、昭にとっては重要なことなのだ。

なぜならそのためだけに、この紫陽花は昭によって手折られたのだから。


元姫は、ふうと溜息をついた。

その息に合わせてか、手上にある寄り添うように咲く中の一番端の花が、

気付くと花の寄り添いの中からはずれていた。



「ほら。」


元姫は昭に向かって、くずれるように離れた紫陽花の欠片を見せた。

一つがくずれてしまうと、花の全体のバランスも損なわれ、

欠けた形となった紫陽花は、どこか寂しそうに見えた。


昭は紫陽花のかけらと元姫の顔を交互に見た。

泳ぐように動く昭の焦げ茶色の瞳を追いながら、

元姫の手の上でうずくまる欠片とバランスを崩した紫陽花の花の姿が、

昭にはどのように映っているのだろうかと元姫は考えていた。


片眉を小さく上げた昭は、元姫の手の上から紫陽花の欠片をひょいとつまんだ。

元姫の指よりも、太く、小麦色の昭の指先の中で、いよいよ欠片は小さく縮こまっているように見えた。


ふっと、昭の手が元姫の視線に影を落とした。

元姫が瞬きを二度するうち、昭の手の影はひっこんでいて、

いつのまにか、昭の指先から紫陽花の欠片は消えていた。

元姫はもう一度瞬きをして、昭の顔を見上げた。



「似合ってる。」


そう言いながら、昭が元姫に向かって得意そうに微笑んだ。

元姫の耳元よりも少し上を、澄んだ青色を含んだ紫陽花の欠片が昭の手によって彩られ、

彼女の金糸のように明るい髪にそれはよく映えていた。


昭の視線の先をたどって、元姫はそっと自分の頭の上に指を寄せた。

少し触れるだけで落ちてしまいそうな紫陽花の欠片は、けれど確かに元姫の頭の上でひっそりとうずくまっていた。



「調子いいんだから。」


「喜ぶと思ったんだ。」



元姫の言葉に、頬を掻き、少し笑いながら昭はそう言った。ぽっ、と温かくなるような笑顔だった。

元姫はもう一度、頭上の紫陽花の欠片を指先でつついて、その存在をそっと確かめた。




「・・・ありがとう。」


昭の笑顔につられるように、元姫はぽつりとそう言った。


半日しかその姿を留めれないだろう紫陽花も、髪の上に留められたその欠片も、

昭が無造作に手折ってきたからこそ、その一瞬一瞬を、儚く美しいそのさまを、二人で目にとめることができる。


きっと、元姫の風邪が治って、外に咲く紫陽花たちの姿を彼女の瞳に収めるよりも、

今日のこの瞬間の、バランスが崩れた紫陽花と欠片の美しさの方が、記憶の波の一滴となるだろう。



元姫の言葉に、昭はにっともう一度笑った。


昭の笑顔を目をそっと細めながら見ていた元姫が、コホリと小さく咳をした。



「風邪がまたぶり返しちゃいけないよな。そろそろ戻るな。」


元姫の咳を聞いて、それをかわきりに昭は腰を持ち上げた。ぐん、と背伸びをする。


「じゃあな、元姫。早く治せよ。」




くるりと元姫から背を向けて、自分の部屋に戻ろうとしたけれど、

かすかな布の抵抗を感じて、昭はその方をん?と振り返った。


小さな抵抗の原因は、すぐに分かった。

ちょっとびっくりしたけれど、昭は瞬きをしながら元姫を見た。



「どうした?」


薄い茶色の瞳ではなく、元姫の髪にうずくまる紫陽花の欠片が、昭の方を向いていた。

うつむいてこちらと目を合わせないけれど、元姫の白い指はたしかに昭の服の裾を掴んでいた。



「もう少し・・・いいでしょ・・。」


ぽつり、ぽつりと元姫は言の葉を落とした。

崩れたときの紫陽花の欠片よりもたどたどしく感じられたが、その小さな声を昭の耳は取りこぼさなかった。



「ん?」


元姫がなんと言いたいのか、どうしてほしいのか分かっていたけれど、

普段なかなか聞くことのない彼女の言葉をもっと聞きたくて、(いつもの仕返しとはいわないけれど)

昭はわざと鈍感なふりをした。




「・・・分かってるくせに。」


少しの間を置いて、元姫はふいっと視線を逸らしたままそう言った。

紫陽花の欠片のすぐそばにある彼女の耳が、心なしか染まっているのは、昭の勘違いではないだろう。

ちょっと楽しくて、昭は小首をかしげて元姫の顔を覗き込んだ。



「いーや。さっきの言葉の続きは?」



馬鹿と、小さな声が返ってきた。



抑えきれなくなってこぼれた笑い声を立てながら、服の裾をつまんでいた元姫の手をとって、

昭は自分の手の平の中で、その小さな手をきゅっと握りしめた。







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「ツンな元姫がデレる話」をリクエストしてくださった方へ

リクエストありがとうございます!
デレがこのような感じになりましたが、いかがでしたでしょうか・・・?
ツンを書くのが楽しくて、デレ部分がちょっと少なくなってしまいました^^;
楽しんでいただけたら幸いです。
リクエストありがとうございました!楽しく書かせていただきました!