一年で一番、空の顔を楽しみにする今日の夜。 しかし昼ごろから振った雨のせいか、今日の空はご機嫌ななめのようだ。 薄らとした雲が空全体を多い、星の姿はちらりとも見えなかった。 昭は縁側にごろんと寝転がり、窓から見える暗い空を眺めていた。 「見えそうにないなー。」 いくら目をこらして見ても、星が流れる河の一筋が見えるわけでもなく、 昭はただ、ぼんやりと天井を見上げるような感覚になってきていた。 「今日は、無理かもしれないわね。」 縁側に腰掛けて、うちわをゆらゆらと揺らしながら、元姫はそう言った。 元姫が仰ぐうちわから作られる緩い風が、昭の髪の毛を震わせている。 昭はつまらなそうに、元姫に話しかけた。 「去年も曇りじゃなかったか?」 「そうだったかしら。」 「あまり七夕に天の川を見た記憶がないんだよなあ。」 まあ、別にいいか。 と、もう空を見上げることにも飽きたのか、ごろんと寝返りを打って、 昭はもそもそと移動すると、元姫の膝に頭を置いた。板とは違う柔らかさが頭を通して伝わってくる。 「なに、変態。」 すかさず元姫は、うちわの角で昭の頭を軽くたたいた。 髪で作られたうちわは音もなく、小さな鈍い痛み(といってもそこまでの)が皮膚に衝撃を与えた。 「変態じゃねえよ。いいだろーこれくらい。」 くるっと向きを変えて、庭を向くような恰好になった。 片耳がぴたりと元姫の太ももにくっついている。 寄せた耳が、彼女の足の奥で血が流れたり、呼吸をしているのを拾ってくるのではないかと思った。 けれどその音よりも、耳はどこかで鳴くウシガエルの声だったり、 ちりちりと揺れる風鈴の音だったりを拾ってきていた。 元姫ははあ、と飽きれた風に溜息をつくけれど、手で昭の頭をどかしたりはせずに、 再びゆるゆるとうちわを仰ぎ始めた。 先ほどよりも、うちわが送る風が間近で、頬をかすめて涼しかった。 「昭って、彦星にそっくり。」 ぽつりと元姫が言った。 「俺が?」 うん?と昭は元姫の声に反応した。 「仕事をせずに遊び歩いて、結果織姫と会えなくなるところとか。」 「なんだよそれー。俺はやるときはやる男なんだぜ?」 「でも、よくさぼって遊んでいるじゃない。」 「いいんだよ。あとでちゃんとしてるんだから。要領がいいんだ、俺は。」 上から聞こえる元姫の声は、まさにふってくるみたいだった。 ぽつりぽつりと言葉の音たちが下りてきて、昭の耳は上手にその音を捕まえていった。 どうかしらね。と元姫がまた少しあきれ気味な声を降らす。 昭はもう一度くるりと顔の向きを変えた。見上げる形になる。 元姫の瞳とかちりと視線があった。その後ろで、やはりうす雲が流れる空がどんよりと暗い背景を作り出している。 昭は、元姫に向かって手を伸ばした。頬に手を添える。 ぴくりと元姫が反応したけれど、膝枕の時と同じで、得にどかしたりはされなかった。 触れた頬は冷たかった。 もう夏が来ようとしていているけれど、元姫の肌は透き通るぐらい白く、柔らかかった。 「なあ元姫。俺がもし彦星だったら、こんな曇りの日でも、元姫の所に会いにいくよ。」 ちょっと笑いながら、昭はそう言った。 真面目な顔で言うには少し恥ずかしい言葉たちだったけれど、 七夕の日だから、これくらいたまにはいいかなと、そう思ったのだ。 「河が見えなくて、渡れなくても?」 昭の笑い顔につられるように、口角を少し上げて、元姫がそう聞いてきた。 元姫が口を開くたびに、触れている頬がゆるく動いた。 「渡れなくても。」 元姫の瞳をじっと見つめた。視線がぐっと交わる。 元姫の瞳の中はいつだってちらちらと光っているように見え、きれいだった。 ちょっと、ロマンチックな空気が流れたような気がした。 その空気に乗っかかって、キスしようかと思ったけど、体勢的にちょっと難しかったのでやめた。 いいんだ、あとでいくらでも出来るから。 「その前に、一年に一回しか元姫に会えないなんて、俺には耐えられないんだけどな。」 「ふーん?」 元姫は、細い指を昭の髪に絡ましながら、そう言った。 「ちょっとは嬉しそうにしろよな。」 「別に・・。」 「ま、元姫が照れてるってのは、分かってるんだけどな。」 「そんなことない。」 はは、ともう一度笑う。 ちょっと髪をひっぱられる。 皮膚がつられて引っ張られるので、少し痛かったけれど、 その行動が元姫の照れ隠しだってわかっていたから、昭はもう一度、元姫を見つめながら小さく笑った。 |