≪「capriccio」さんのお題から≫
  
「一等星だった」 魔法使い*ヒカリ








今宵もまた、空に星が舞う。ちらちらと光るその姿が、瞳の奥に映る。

冷えた空気が、より一層、空の星たちを透き通らせている。

魔法使いはふっ、と息をついた。もう幾度、空を見上げたか分からない。でも、飽きることはまだ、ない。



空から零れ落ちてきそうなほど、散らばる星たちの元で、魔法使いは、すっと手を伸ばした。

届かないことは分かっているけれど、落ちてこないだろうかと、伸ばさずにはいられない。

もしかしたら、指の先からぽっと星の光が灯るのではないかと思う。

そこからじわじわと肌に広がっていく。

褐色の肌の上でぱらぱらと舞って光る星は、地上に降りても、まるで空の上で輝いているように見えるだろう。



ふっと、瞼を閉じた。

かすかに風が、頬の横を通り過ぎていく溜息のような音が聞こえた。



思い出はひとつひとつ、心の中でかすかに削れていく。

まるで風のように。いつの間にか光を失う星のように。

なにも言わず、そっと去っていくそのひとつひとつをかき集めて、ただ必死に忘れることを恐れている。


人よりも長い時間、この世に生を置ける自分の記憶は、

いつか、彼女の姿や彼女と築いたひとつひとつの思い出が、

かすれていくのをじっと、待っているしかないのだろうか。



まだ、瞳は瞼の裏に隠れたままだった。


暗闇の視界の中で、光が灯るように浮かんできたのは、まだ彼女が確かに生きていたときの記憶。


すっかり年をとり、糸のように白くなった髪を束ねた彼女がベットに横たわっている。

呼吸の音が浅く小さく、今にも止まってしまうのではないかと思って、

彼女のそばにいるとき、いつも耳をぴんとはりつめて、彼女の命の息吹を拾い集めていた。



皺を重ねた彼女の手を取ると、彼女は弱弱しく微笑んだ。


自分の浅黒い手は、彼女の皺の10分の1も皺を刻んでいなくて。

記憶を寄せる皺を持たない自分の手が、

まるで彼女との思い出を風化していく予兆を示しているような気がして、

魔法使いはそんな自分の手が嫌だった。





彼女の息が、いよいよ小さくなってきたとき、魔法使いは自分の心臓にナイフをあてた。


一緒に星になろう。



そう彼女に言った。


銀のナイフはまっすぐに、自分の心臓の上を指している。

力を入れたら、いとも簡単に、この褐色の肌を割いて、

人よりも考えられないほど長く働いている心臓の動きを止めてしまうだろう。



けれど、魔法使いの紡いだ言葉に、彼女は決して縦に首を振らなかった。




あなたには残酷かもしれないけれど、それでも私はあなたに生をまっとうしてほしい。



彼女の言葉はもう虫の音のようだったけれど、

魔法使いにとって辛苦を舐めるような言葉は、彼の耳にそっと届いた。


彼は、彼女の言葉に、なんといっていいかわからなかった。

返事を返す代わりに、頬から一粒の涙を転がした。

その涙を見て、彼女は申し訳なさそうに、けれど小さく微笑んだ。


そして最後の言葉を、彼に向けてささやいた。






記憶を巡る。


遠い記憶を一枚、また一枚とめくっていく。

めくるたびに、記憶の中のヒカリの姿がどんどん若返っていき、

とうとう瞼の裏で、ヒカリの姿は出会った当初の頃の姿になっていた。






「あ、見て。」


深い色を浜に寄せる海を見ていたヒカリが、ふいに空を見上げて声を上げた。

魔法使いの方にふりかえる。

彼ももまた、彼女の声につられて、空を見上げた。



「星。」


こくりと、うなずく。

まだ薄い青を含む空には、早くも一等の星が顔を覗かせていた。

彼女は一等星を見つけたことがうれしかったのか、小さく笑いながら空を見上げていた。


今日は星の顔がよく見えるので、二人で灯台のそばに移動して、並んで座って星を眺めた。

彼女は星座を見つけては、魔法使いに星座の名前があっているかどうか聞いてきた。

その質問に、魔法使いは短い言葉で、けれど丁寧に答えた。




そんなささいだけれど、幸せな日々が懐かしくてたまらない。




「魔法使いさんが、いつも探している星はどれですか?」


たしかあの時、彼女はそういった。不思議な言葉だと思った。

空を見上げる魔法使いの顔が、彼女にはそう見えたのだろう。


そのとき、魔法使いは何も言わず、ただ困ったように微笑んだ。



今なら、彼女のその問いに答えることができる。

探しているは、君だけ。そう、いつだって君だけだった。


ヒカリが、もしも星になって、空を舞っているのなら、

そう、彼女なら、一等星になって、見つけれましたか?と笑いながら空から尋ねてくるのではないだろうか。




そんな姿を思い描きながら、今日も魔法使いは、空の星たちの顔を確かめるように、空を見上げている。














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