まるで、飲み込まれるかのようだった。


ぐんと、間延びした隊の一番緩んだところをたたかれた。敵はよく、戦況を読んでいた。

衝撃がびりびりと昭の手に伝わってくる。


もともと相手に有利な地形だったのだが、こんなにも地の利を生かしてくるなんて。

いや、地の利を生かすというよりも、敵の大将の判断の良さと思い切りの良さ、

そして、ぶつかり合ったときのこちらの怯みが、すべての戦況を分けたのだ。



昭はまだびりびりとする手で、剣を握りなおした。

まだ隊が伸びきっているわけではない。

小さく固まらせて、相手の攻めに答えようと、声をはりあげて周りに命令をした。



固まりきらないところには、かかさず敵がつっこんできている。

よくまとまって攻めてくる相手のほころびを狙って、声をかけてまとめた小勢で、昭も敵に応じた。

一度に二人をたたき斬り、次にきた相手はすかさず喉を突いた。

刀から血を払う隙もなく、次から次へと敵が隊の大将である昭の首を狙ってくる。


5人斬ったところで、刀は血でべっとりとし、もう斬れるものではなくなっていた。

すかさず次に来た相手の頭に、斬れなくなった刀を思い切りたたきつけた。



けれどもう一人がすでに刀を振り上げていた。

とっさに、さきほど刀をたたきつけた相手の槍を左手で抜き取ると、相手に向かって刺した。

敵が崩れ落ちる。が、少々間に合わず、昭の左肩から血が滲みはじめている。

倒しても倒しても、固まって敵が突進してきた。


昭が率いる隊は、まとまりを失いかけていた。

敗走する。

けれど、見極めなければ、後ろをとられ、全滅する。

昭は唇をかみしめた。




「司馬昭殿。お引きください。あとはわれらが。」

そう叫び、卒伯が司馬昭に襲いかかろうとした一兵に槍をひとつきした。



「敵の隙をついたときに、駆けてください。」

「お早く!」


卒伯は、周りにいた兵を5、6人にまとめると、

一番緩んだ場所につっこんでいった。

一瞬、相手がたじろくように、ちらばる。

今しかなかった。



昭は、ぐいっと馬首を回すと、懸命にかけた。

もうなにも見えなかった。左肩の痛みを消え、今はただ、敵から逃げのびるだけだった。

卒伯の顔が頭に何度も浮かぶ。

ぎゅっと唇をかみしめる。けれど、なにも感じない。


昭は、ただただ馬を駆けさせた。








******************





「子上殿。」


気付くと、幕舎の中にいた。

ふっと、目を開いて一番に瞳に映ったのは元姫の姿だった。


「よかった。」


ほっと、息をつき、目の端を緩ませている元姫の姿は、

起きたばかりのせいか、少しぼやけていた。


「元姫。」


「血が少なくなって、気絶したの。」


「俺の隊は?」


元姫は、瞳を揺らした。そっと、起き上がった昭の二の腕に手を添えた。


「何人かは、帰ってきているけれど・・・大半は・・。」


「・・・卒伯は?」


その言葉の答えが虚しいものなのは、元姫の顔を見たときからわかっていた。

なんといったいいか分からず、睫毛をふせる元姫に手を伸ばした。

左肩がいまになって、ずきずきと痛んでうまく腕を動かせなかった。


元姫が、伸ばしきれない昭の手をそっと包み込んだ。


起き上がろうとしたけれど、血が足りないせいか、眩暈がした。

元姫に慌てて、腕を掴まれて立つのを止められた。



「子上殿、安静にしていて。」


「俺だけ、生きているのか。」



行かしてくれ、頼むから。

あいつには、これから子どもが産まれるんだ。



なのに、俺は守れなかった。

あいつの命の代わりに、おめおめとこうして生きている。


言葉にならない叫びが、身体中に駆けた。


立てない。そばに、刀さえない。

自分は戦場で敗れたただの怪我人だった。


戦場に戻れないのは、自分が一番わかっていた。


ぎゅっと、黙って手を握っている元姫の手を、握り返すことさえおぼつかなかった。

例えようのない虚しさが、重たい空気となって昭を、二人を包んでいた。









******************









「子上殿。」


「やっと、顔が見れた。」


お産から久しく顔を見ていなかった元姫の顔は、

しっとりとしているが、すでに母の顔を見せていた。

口を緩ませている元姫の手を取って、よく頑張ったなと声をかけた。



「若子の顔は見た?」


「ああ、かわいいな。」


微笑む元姫は、子を抱いている侍女を呼んだ。


「抱いてあげて。」


「ああ。」


侍女から受け取った我が子は、昭の胸の中ですやすやと眠っていた。

くあ、と欠伸をするその口もなにもかも小さくて、こうして抱いていたら、潰してしまいそうだった。


「小さいな。」


「ええ。」




子を抱けなかった兵士の顔を思い出した。

彼は幕舎には帰ってこず、昭を逃すためにかの地で、父親になる前に儚い命を落とした。


胸が痛む。

助けられた自分は、こうして父親になり、安らかに眠っている我が子を、この腕に抱けるのだ。




涙がこみ上げてくるのを、止めることができなかった。

ぽたりと息子のほほに、自分の涙が落ちる。

まるで、息子が泣いているみたいだった。


あいつの分も、

精一杯できるかぎり、この腕に抱いた小さな命を慈しみ、守っていこう。





あの戦場では、他の兵士に見られぬように、ついに涙を見せることがなかった夫が、


我が子を抱きながら、初めて涙を見せる姿を、元姫は優しい瞳で見守っていた。









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