兵士として、村から狩り出された。

厳しい調練や軍令に従わなければならないし、戦に出ればぎりぎりまで命を削る戦いをしなければならない。

納めた税が戦のために削られ、莫大な資金がかかるので民は、重い税を課せられる。

そのたびに、虚しい気持ちを抱くことがあった。


もともと、武官出身の家ならば、この気持ちも違うのかもしれない。

戦で武功を上げていくことに誇りや生きがいを感じるのだろう。しかし自分は、農民の子である。

兵役の年を迎えたので、こうして兵士となっただけで、槍をつくことよりも、田畑を耕すことの方が向いている。


けれでも兵役が終わるまでは、村には帰れないし、鍬を持つこともない。

鍬を持つのとは違う場所にできる槍だこが、手のひらにぼつぼつとあらわれ、

それが赤くむけずに硬くなり始めた頃、ようやく調練や兵士としての暮らしに慣れ始めた。




そんな折に、小競り合いに似た戦が起こった。

当然のように駆り出され、拠点で出発の合図を待つ。



ごつごつの身体や強靭な身体を持つ武将の中に、一人だけ小さな姿があった。

小柄な身体で、まとめている長い金糸の髪が、すとんと背中に垂れている。

はっとするほど白い肌は玉のようで、見てはいけないものを見ているような気分なる。

屈強な男ばかりの拠点地の中で、その姿は異様に目立っていた。


王元姫様だった。



噂では、司馬昭様に願い倒して、出陣することを許可されたらしい。

かの人が出陣されるようになってから、目の保養になると嬉しさを隠しきれない兵士たちが何人もいた。

周りには打ち明けていなかったが、自分もその一人だった。


王元姫様の姿を始めてみたとき、心臓をぎゅっと掴まれたように、どんと衝撃が走ったことを、今でも覚えている。

村でもどこにも、自分の人生でこれまで、こんなに顔の造作が整っている美しい女人を見たことがなかった。

とわられる。まさにその表現だ。

一度見たら、頭からもう離れない。胸が縛られる。


王元姫様が出陣されるのは、此度の小競り合いでもう数度に及んでいた。

そのたびに、兵士の間では、司馬昭様との仲を噂する声が流れたりもしていた。

たとえ耳を閉じても、目やら鼻から沁み込んできそうなくらいだった。


そしてまたその中には、

司馬昭様はやはり心配なのか、自身も指揮をされる忙しいなかで

時間が許す限り、王元姫様のそばにいるようだという噂もあった。





ただ、横で、見ているだけでよかった。

何度押し殺しても、湧き上がるこの感情を。

せき止めることのできない、でも殺すことでしか、少しでも気持ちを楽にする方法がないこの感情を。


身分が違う。もうそれだけで、糸は切れたままでつながらないというのに。


もしも、身分が変わない立場に立てていたのなら。

もしも、自分の許嫁として迎え入れることができたのなら。


かの人たちが仲睦まじい様子を見聞きしていなければ、

この押し殺している感情に、少しでも変化があったのだろうか。

今いる、かの人が浮かべる笑顔よりも、より幸せな空間を作ることができたのだろうか。

憶測でしか考えれないことをぐるぐると考える、ぼんやりとした頭を抱える日が続いていた。


ただ、見ているだけだった。会話もない、視線すら交えたことがない。

でも、焦がれていた。

その頬に、肌に、触れてみたかった。すっと伸ばしたその先に、届かないその先に。


でもただ、はっきりといえることは、

渦巻くこの感情に、名前をつけてはいけないことだけだった。







『もうすぐ出陣です。』


そう告げるために、王元姫様の近くに行く。

会話にはならない、報告をするだけである。

ただそれだけなのに、胸が高まるのを抑えることは出来なかった。



かの人がいる幕舎の近くまで行くと、王元姫様は、

前回の出陣のときも自身の首を彩っていた薄青色に輝く宝石を外して、そっと手に持っていた。


誰にも見られないようにひっそりと、息を吹きかけている。

その様子を偶然にも見てしまったことに、一瞬身が硬くなった。



ほんのわずかに、王元姫様の口角が、きゅっと上がった気がした。

小さく微笑んでいる表情に見える。

こっそりと見えたその表情を見ただけで、その首飾りの送り主が誰なのか、悟らずにはいられなかった。



ああ、やはり。


たとえ想像でも、かの人が自分のそばに並び立つことなど、想像してはいけなかったのだ。

あまりにもつぎはぎだらけで、不自然すぎた。


二人の間に流れる満たされた空気に入り込む隙間など、微塵も存在しないのだ。

その空気に、溺れそうになる。

かぷかぷと飲み込み、沈んでいく。

沈殿していく想いはそれでも消えずに、胸の中に凝り固まっている。



ひゅ、っと息を飲み込んだ。

そして、ぐいっと頭を下げてひざまずいた。

この気持ちを封じ込めて、戦に集中しよう。夢から覚めなければいけない。



「申し上げます。もうすぐ出陣の刻限です。」


はっと、こちらを向かれたような気がした。けれど、視線は交わることなどない。



「わかりました。」


すっと、王元姫様の声が届く。凛とした声は、どこまでも澄み渡っていくようだった。


たとえ現実に戻っても、夢から覚めても、

この気持ちは、やがて凝り固まって、心の隅に残っていくだろう。

まるで、小さなしこりみたいに。



それでもいいと思った。

憧れを抱いたかの人の幸せをただ願いながら、自分は兵役を全うするだけだと、そう思った。


ぐっと拳を握り、槍を持ち直すと、自分のいるべき隊に向けて、走りはじめた。










back