もう日も暮れかかっており、沈む日の色が部屋に入り込んでくる。 一瞬光ったかのように朱に見えた後、やがて夕闇が部屋にまで浸るようにおりてきた。 そんな光の様子を、昭はごろんと身体を伸ばして窓の内から見ていると、 兄である師が、突然部屋に訪れてきた。 「どうしたんですか、兄上。」 「私が何を言いたいのか、分かっているんじゃないか。」 ぴしゃりと、鋭利な刃物のように鋭い返答が返ってきた。 兄との会話では、無駄な言葉の音ひとつ、流すことを許されない空気が流れている。 その空気に逆らおうとした言葉たちが、あっさりと切り捨てられて、 ひらひらと地面に落ちていく姿が、昭の目には見える気がした。 「またあの話ですか。」 小さく溜息をつきそうになる。 そんな姿まで、射抜かれそうなほど、きつい視線を投げかけられる。 束縛とまでは言わないが、見えない糸で絡み取られ、身動きができなくなる気がした。 「昭、もう決まったことだ。いい加減腹をくくれ。」 「俺は、まだ婚儀なんてあげたくないんですけどね。 そうだ、兄上が代わりになってくれたらいい。」 「馬鹿か。」 軽い思いつきは、思った通り、一蹴される。 ちょっとは、弟の相談に乗ってやろうとか思わないのだろうか、思わないんだろな。 あーもう、めんどくせえ。 真っ先に、昭の頭に浮かんだ言葉だった。 もう少し独り身の自由な形で、時代の流れを感じていたかった。 父上を筆頭に織りなす政治の流れがどのようになっていくのか、ただの傍観者として見ていたかった。 正妻がこようがこまいができることだが、今のままの形の視線で見ている方が、心地よい気がした。 ただたんに、新しい変化を受け入れることが面倒なだけなんだろ、 と切り捨てられたらなんとも言えないことなのだが。 まあいつまでも、子供ではいられないってことか。 それでもまだ顔さえ見たこともない、身分と父の名前だけが最初にくる(当たり前なのだが) その最初の重要さで決められる、妻という位置づけられた女性を、今日から許嫁だと言われても、 いまいちピンとこないのが本音である。 「お前の妻になってくれるだけ、ありがたいと思え。」 「・・・相変わらず、きついこといいますね。」 頭に張り付いてくる許嫁という存在への拒否感を、この兄に相談したところで、 鼻で笑われるか、もう一度「馬鹿め」と一蹴されるのがおちだろう。 兄及び父ならば、こんなことでいちいちぐだぐだと考えることなどしないはずだ。 ただ、まっすぐ己が描いている地図へ、少しでも近づけれるように邁進するようなお方たちだから。 許嫁一人のことで、こんなにも二人を困らせている自分は、まだまだなんだろうな。 「後日に父上が、宴席を設けるとおっしゃっていた。 その時に昭、顔見合わせだからな。心を定めておけ。」 どうやら師は、このことを伝えにきたらしい。 初めて、妻となる女性の顔をみることができる。 ちょっと楽しみだと思った感情は嘘ではないが、やっぱり少し複雑な気分だった。 まだ気持ちが整っていない証拠なのだろうなあ。 「それ、俺も出なくちゃだめですかね?」 「当たり前だ。」 最後の逃げとして、ちょっと聞いてみたけれど、 兄の返答は思った通りの答えしか返ってこなかった。 そんなことぐらい自分で考えろ。腹を括れ。 と鋭い視線が、ひしひしと肌に突き刺さってくる。 兄に相談できるのは、兄が目指している地図への描き方ぐらいだ。 「父上を困らせるな。」 最後になんとも切れ味の良い言葉で締めくくられると、師は訪れた時と同じ速さで部屋から出て行った。 突然吹かれる冬の風のようだと、昭は思った。 一人きりになった部屋で、もう一度ごろんと寝転がった。 まだ見ぬ許嫁の顔を、少しでも思い浮かべようとしたけれど、思い浮かぶはずがない。 「宴席かあ。」 呟いた言葉は、しゅわりと空気に触れて消えていった。 |