空高くに彩る青は、遠く染み渡る色を濃く、地上に届けている。 空だけを見ていれば、まさか地上がこれから、赤く染まっていくなどとは、到底思えない。 けれども、確かにここは戦場で。 今日もまた、狂気にも似た咆哮が鳴り響く。 もうすぐ、戦が始まる。 「元姫ー、お前は俺とここを守れ。」 元姫の身長ほどありそうな大きな刀を背中に担いだ昭が、彼女のすぐ近くまで来てそう言った。 相変わらずの間延びした話し方に、元姫は少し眉をひそめた。 これから戦だというのに、 どうして、許嫁であり、また多くの将を従えている昭は、こんなにも楽観的なのだろうか。 いつも悩みの種である疑問が、元姫の脳裏にまた浮かんだ。 真剣に考えても詮無きことなのかもしれない。 最近、昭の戦場での態度に対して、諦めかけている自分がいることを、元姫は認めるしかなかった。 水を得た魚・・のようになってくれる方が、幾何かマシだと思った。 やればできるというのに、その「やればできる」状態に持っていくのに、どうすればいいのか、 元姫はまだ分からないまま、小言を言う回数だけが、増えていくのだ。 思わず小さく溜息をつく。 その表情を確かに目で拾っているはずなのに、昭は全く気にならない様子でこちらを見ている。 「ここは、子上殿だけで。攻撃の手が少ない此度の戦で、ここを二人で守る理由はない。」 さばさばと、元姫は昭に言った。 開戦まであとわずか。元姫が率いる隊は、先陣こそではないが、進軍をすることになっていた。 戦に出るのは、今日が初めてなわけではない。 ただ、いつもの戦と違うのは、いつもなら一緒に戦に挑み、同じ場所で戦うのに、 此度は攻撃の手が少ない理由で、元姫だけが進軍するということだった。 どうやら、昭はそれが気に食わないらしい。 元姫の答えを聞くと、昭は眉をひそめて機嫌の悪いときの表情を作った。 「なら、俺が行く。」 先よりも硬くなった声を聞いて、昭が自分のことを心配していることが、十二分に伝わってきた。 女だから、許嫁だから、大切な人だから。 そんな様々な気持ちを織り交ぜて、昭が止めようとしているのが、ひしひしと感じられた。 でも、ここは戦場だ。 折り重なった気持ちだけを大切にして、渡り歩けるところではない。 「あなたを危険にさらすわけにはいかないでしょ。」 そう言うと、元姫は部下が連れてきた馬にまたがった。 そろそろ、開始の合図があるはずだ。 何人もの命を預かっている昭は、ここでやらなければならないことがある。 権力を抱えている昭の命が危険にさらされるということは、多くの命を危険にさらすのと同じことであった。 女や許嫁である前に、彼のお目付け役として、この戦場の将として、守らなければならない存在なのだ。 はああ、と下を向いて、 長い溜息をついた昭は、しょうがねえなあと言わんばかりに、刀を肩からかけなおし、 元姫の目の前に指を二本立てた。 「じゃあ、分かった。どうしても行くなら、二つ、約束してくれ。」 「なに?」 ぐいっと突き出された二本の指を見つめながら、元姫は尋ねた。 元姫が馬上に乗っているせいで、昭と目が合うのが、いつもの反対になっていた。 「一つ、この戦が終わったら、俺に接吻すること。」 「なっ、・・・馬鹿じゃないの!」 眉をぐいっとひそめて、元姫は昭にそう言った。 あまりに突拍子もない言葉に、元姫の耳がかあっと色を染める。と同時に、昭をじとりと睨みつけた。 そんな元姫の様子に動じずに、昭は指を一本に立て直した。 「もう一つは、」 ふっと、昭が真面目な顔を作る。 すっと、瞳が混じるその瞳の変化に、元姫は口を閉じた。 「かならず、生きて帰ってこい。」 びゅっと、土の匂いを含んだ風が吹く。馬が小さくいないた。 真っ直ぐと耳に届いたその声に、元姫は小さく頷いた。 「・・・・ええ、かならず。」 合図が鳴り響く。 元姫は手綱を握りなおした。 足音が鳴り響く。元姫は進軍していった。 戦場でかならず、という言葉は通用しない。 そんなことは、二人は痛いほど痛感している。 けれど、まっすぐと見つめ合ったその瞳の先に、響く深い声に、掴めるものがあるとするなら。 きっと、この戦を生き延びるだろう。そう、二人とも、信じている。 怒号があちこちで鳴り響き、空気ははちきれんばかりに緊迫している。 人や馬が走り蹴った地面の土が、空気に舞い上がる。 元姫は自身の武器を手に握った。 今は、ここでは、私が彼を守らなければならないのだ。 張りつめた気持ちを胸に抱いて、元姫はこれからの戦いのことだけを考えようと、頭を切り替えた。 |