どうしてこんな気持ちになってしまったのだろう。

この気持ちのきっかけさえ分かったら、

僕は、そのきっかけを潰すために全力をつくすのに。









それは本当にささいなことだった。

いや、今となってはもう、あれはささいなことではなくなってしまっている。



彼女の牧場を訪れ、彼女の家に招いてもらった。

理由はなんだったか、あまり覚えていない。

確か、たくさん作ったからとマイの代わりにサツマイモをもらいに行ったときか、

それともかぼちゃを取りに行ったときだろうか。




あいまいな記憶が、僕の頭の中でぐるぐると記憶の海を行ったりきたりと泳いでいる。


きちんとした光景もあまり浮かんでこない、おぼろげな記憶だったが、

(それだけ昔から、僕は彼女と秘密の関係を共有していたのかと思うと、なんだか可笑しくて、悲しかった。)

でも、彼女の家がとても温かかったのを覚えている。



初めて彼女の家のドアに触れ、家の中に入ったとき、

なんだか心にぽっと火がついたような、変な気持ちになったのを覚えている。


どこか、来たことがあるような、そんな懐かしさが入り混じっていたのかもしれない。






あの時、彼女の家の温かさに、僕は溺れそうになったのだ。









彼女の姿を目で追ってしまう自分が怖かった。そしてとてつもなく憎かった。

彼女の一挙一動に、少しでもドキリと気にしてしまう自分の心臓が、嫌らしくてたまらなかった。


彼女の名前を呼び捨てにするたびに、彼女の服を一枚ずつ、たまねぎの皮を剥くように脱がしていくとき、

彼女の日焼けして腕や手足は健康的な色をしているけれど、日があたらないお腹や胸の白さに驚いたとき、

そして彼女の裸を抱きしめて、彼女の柔らかさを知ったとき。




そんな一瞬、一瞬で、僕はマイとユイの姿を想像した。

初めて出来た家族の顔が歪んではいないかと、冷たい目を向けていないかと、頭の中で確かめていた。


また、違う一瞬では、彼女の裸を見て、妻との違いを探すこともあった。

ひとつ、またひとつと決定的に違う箇所を発見するたびに、僕は自分の罪への意識と、

いつも味わうことが出来ないスリルに似た高揚感を味わうこともあった。




もしも彼女と付き合っていたら、結婚していたら、どうだったのだろうか。

そう思うことが、頭の隅に潜み住んでいることが、ひどく浅ましく思った。







夜、誰もいない教会は、少し物寂しい空気が降りていた。


しんとしている。


今にも、ぱちりと世界が終わってしまうのではないかと思うくらい、

音という音が部屋のどこかに吸い込まれていってしまったかのようだった。



僕は教会の端の席に座って、ぼんやりと自分の足の先を眺めていた。

目の前を見れば、色とりどりの硝子を使って描かれた女神像のステンドグラスが、

月や星の光のおかげで、緩く柔らかに輪郭を僕の目に伝えてきた。

僕は、そんな女神を見ることが出来ずに、足元の見つめ続けていた。



目の裏にこびりついている記憶は、彼女の残影だった。

別れの結末を、彼女はいつから描いていたのだろう。

僕にはなにひとつ言い残さずに、ある日彼女は船に乗ってこの島を出た。


彼女が島を出ることを、僕はその日まで知らなかった。

狭い村で噂が風のように早く広まることがなかったら、

きっと僕は彼女が島を出て数日後にその事実を知ることになっていたのだろう。



こういうとき、狭い町でよかったと、そう思う。

僕はマイから、後一時間で彼女が町を出るために、船に乗ることを聞かされた。


お見送りに行こうと、寂しそうな声でいうマイの誘いを断って、僕はあの日も今日と同じように教会に足を向けた。

誰もいない教会から、彼女が乗るであろう船を眺めて、どうしてこうなったのかずっと考えたのを、覚えている。




いつ、どこで、彼女は町を出るという選択を選んだのだろうか。

お互い、自分たちがしている罪の意識を充分分かっていた。


けれど、お互いの熱に甘えた。僕は、マイとは違う感情で、彼女のことを想っていた。

家族にはなれない。恋人にもなれない。友達にも、もうなれない。

そんなあいまいな関係の中で、僕たちはお互いの中にある熱をほしがった。求め合った。

それは愛情ではない。もっと大きくて、言葉にはできない感情の中に生まれたものだった。



出会ったときに、分かってしまった。

あんなにも、女性の身体を求めたのは初めてだった。

愛でも恋でもない感情の中から突如湧き出してきた感情。



もしかしたら、

それは、一瞬触れ合ったらあとはもう突き動かされるしかないほどの、強欲の塊だったのかもしれない。



彼女を、優しく抱くときも、守るように抱くときも、怒ったときに抱くときも、獣のようにただの行為として抱くときも、

その感情だけが、僕を動かしていた。


罪の意識の上に被さるように。まるで消してしまうように。その感情が、彼女を想う僕のすべてだった。





僕は、顔を上げた。見たくなかったステンドガラスに描かれる女神像を、見るために。

女神は俯きがちな視線で、口元はゆるりと微笑んでいた。

わたしたちを見守ってくださっているしるしなのだよ、とハーバル町長が言っていたのを思い出した。




もしも本当に女神が僕たちのことを見守っていたのならば、

僕たちの行為を見て、女神の怒りに触れたのだろうか。


だから、彼女はこの島を出て行ってしまったのだろうか。



そんな幻想めいたくだらない考えまで、僕の頭の中に浮かんできてしまった。

本当に、僕は彼女がいなくなってから、おかしくなってしまったのだろうか。






目を瞑る。




最後に彼女の家を訪れたとき、彼女はベッドの中で布団にくるまっていた。

元気がない声だった。

そしてひどく萎んでいた。

元気がとりえだと自分でも言っていた彼女から、その元気さは少しも見えなかった。




あのとき、彼女はすでに島を出ることを考えていたのだろうか。



もしかしたら・・・という考えが頭をよぎる。


逃げ出したくなるような現実だけれど、もしもそれが真実ならば、僕は本当ならば受け入れなければいけないのに。


そんな勇気が持てなかった。


初めて持つことができた新しい家族を捨てる決断も、悲しませる行動も取りたくなかった。



たとえそれが、彼女を傷つけ悲しませる結果となっていたとしても。






最低な男だった。


どうしようもない馬鹿だった。


ただ目の前にいた彼女に、熱を求めた。消えてしまうまで、抱きしめ続けた。

その結果がこれだった。彼女を本当に消してしまうような結果を招いた。




それでも、彼女を求めていた。




たとえ、こんな結末を迎えるを分かっていても、

きっとあのとき僕はあの家に入り、そして彼女の温かさに溺れただろう。


彼女の温かさを今でも覚えている。

浅はかな僕に、彼女は最後まで優しかった。






もしかしたら、赤い糸は彼女とつながっていたのかもしれない。



それは、愛でも恋でもない関係だったけれども。


でも確かに、あの時二人はお互いを求め合っていた。







一瞬そう思ってしまったことを、許してほしいとは思わない。



ただ、こんな僕に罰が下ればいい。



 








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