「持ってあげる。」 声がした方に向かって顔を斜めに傾けると、アカリの左手がずいっと出てきたのと同時だった。 指の先が赤く染まっていて、かじかんで固まって冷たそうだなと、見て分かる指だった。 アカリは一年中そこかしこを駆け回っているものだから、 夏になったら手の先まで小麦色になっているのだけれど、 冬になるとつるんと皮がむけたんじゃないかって思うくらい、はっとする白さが現れる。 雪の粉が染み込んだんじゃないかって思うその指先が赤くなっていると、 思わずふぅっと息を吹きかけてやりたくなる時がある。そんなこと、絶対にしないけれど。 「うん?」 アカリの指の先の色に気を取られて、僕はアカリの意図が読めずに聞き返した。 アカリは僕の反応に、ちょっと下を向いて僕の手元を指差した。 「その袋。」 アカリが指さした袋は、さっき買い物に行って調達してきた今日の夕飯の材料が詰め込まれている。 といってもそこまで重くない。 かさばる物ばっかりだったので、2つに分けて僕が両手に一つずつ持っていた。 一応男だからね、そんなに重くないものをアカリに持たせるほどの器量なしじゃないんで。 アカリの牧場までもう15分といったところで、長い帰路でもないので、アカリの提案を僕は軽く断った。 「ああ、いいよ。重くないし。」 「そうじゃなくて。」 僕の言葉尻が空気に触れて溶けてしまう前に、アカリは言葉を被せるように声を出した。 いやいやと、否定する声は少し上ずっていて。 「ん?」 マフラーの下で言の葉を作っているので、アカリの声はくぐもりながら空気に触れていた。 それに加えてなにか言いにくいことがあるのか、多少もごもごと言葉を作ることを躊躇している様子で。 なんだい?と声をかけようかと思ったけど、ちょっと待ってたらアカリは自分からしゃべるだろうとも思った。 アカリの口元はマフラーで隠れているけれど、 隠れきれなかった鼻の先がさっきの指先に負けないくらい赤くなってた。 景色の中にも混ざっちゃうくらい白い肌の上で、ぽつんと赤くなってまるでどこかの国のトナカイみたいだ。 僕がそんなことを思ってアカリをじっと見ている間も、アカリはマフラーの下でもごもごしていたけど、 そのうち素っ気なくぼそぼそと言葉を紡いだ。 「どっちも塞がってるから。」 ん?となったのも束の間。 僕は自分の両手を交互に見た。 あーなるほど。そういうことか。 アカリが伝えたいことは大体想像がついたけれど、核心についた言葉の一つが耳に届くまでは、 わざわざアカリのしたいことを僕からしなくていいかなと思って、聞こえないふりみたいに、聞き返した。 分からないフリ、知らないフリ。 そうしていると、アカリがじれったそうに脚をパタパタとして、地団駄を踏んだ。 「わかんないかなあ。チハヤって鈍感。」 眉根がちょっと寄っていて、ぶすっとしているように見える。 その顔、ブサイクだってアカリ知ってた?言ったらますますはぶてるんだろうけど。 きっと、きゅっと結んでいる唇は、ますますマフラーの中に隠れてしまっているし、 見えてないけどもしかしら頬も膨らんでいるのかな?と思った。 アカリはじれったそうに、もう一度ひらひらと手を僕の前で振った。 白い手の中で、指先の赤さがちらちらと揺れている。 「あたしの左手、今なら空いてますよ?」 ね?と確かめるような瞳で覗き込んでこられたら、いいよって言いたくなくなるのが僕の性格なんだよね。 そういうとこ、いい加減分かったほうがいいよアカリ。 「なんかムカつくから、塞がったままでいいよ。」 ふいっと、アカリから目を逸らす。 今日の夕ご飯、奮発しすぎちゃったらから明日は少し締めないとなぁとか、 頭の中を現実的なことにシフトチェンジしようとする。 「またそんなこと言うー。」 切り替えようとする矢先に耳元にアカリのいじけた声が届く。 「ねえ、チハヤ?チハヤさん?」 ふててたのはアカリの方なのに、どうやら彼女はどうしても自分の欲求を通したいみたいで。 そのためには、僕の右手の買い物袋が邪魔で。 マフラーで隠していた言葉を言わない代わりに、僕を鈍感ということにして、 感づいてもらおうと、言葉の袖をひらひらとしている。 僕はそんなアカリを見て、ふっと口元がほころんだ。 アカリは僕のその表情を見て、瞳を嬉しそうに光らせた。 やっと自分の気持ちを僕が汲んでくれたと、そう思ったのだろう。 僕はほころんだ口角をきゅっと上に結んだ。アカリには不敵な微笑みに見えるだろう。 「アカリが素直になったら、これ、上げてもいいよ。」 「あーーーー、そうくる?」 希望通りになると思っていたのに、そんな展開になるかと、アカリはマフラーに顔をうずめて小さく唸っている。 んんん、と声を上げてアカリはどうしたもんかと首を捻っている。 僕はアカリを見下ろしながら、彼女の赤くなった鼻先を余裕な気持で眺めていた。 「やっぱり、男女平等に持つべきだと思うのよね。」 「それだけ?」 「寒いしね。」 「ふーん?」 「ああ、もう!チハヤってやっぱり意地が悪い!」 もう降参、とアカリは両手をちょっと上げた。 僕はアカリのその行動に、小さく笑った。ごめん、ちょっとやりすぎたかな? アカリはじろりとこちらを見てきた。心なしか耳も赤くなってきているようだ。 耳貸して。 マフラーからちょっとのぞいた口から零れた言葉は小さな小さな音で。 僕は、アカリの意固地が解けたその言葉を聴こうとちょっと腰をかがめた。 カサリと、手に持ったビニール袋が揺れて音が鳴った。 「…手がつなぎたかったの。」 チハヤなら言わなくても分かってくれると思ったのに。 そんな不満そうな声も混ざってる。 うん、わかってる。知ってる。 それでも、その言葉が聞きたかったって聞いたら僕って性格悪いかな? 鼻先も耳も赤くなったアカリのまだ白い部分を見つけて、 僕はほとんど衝動的に、その白い頬に唇を落としてやった。 びっくりしたアカリがこちらを向く。白かった頬に、ぱっと朱色が咲く。 そうそう、アカリはやっぱりその色の方が似合う。 アカリは頬を抑えていたけれど、はっと瞬きをして、何を思ったのか、じとっと僕をにらみつけた。 「チハヤ!ずるい!チハヤは何も言ってないのに。」 あたしは言ったのに!言わずにさらりとしちゃうなんて。あーもう、ずるい! 「そっち?まあいいや。早く帰るよ。」 「あ、せっかく勇気出したのに。」 ほらほらと手を出してくるもんだから、仕方ないなあと僕は溜息をついてしぶしぶというフリをして、 アカリに袋を差し出した。このままだとまたアカリの頬が膨れそうだしね。 差し出されたアカリの指先はまだやっぱり赤い。 僕は少しでも自分の熱がアカリに伝わるように、アカリの指先にきゅっと自分の指を絡めた。 アカリはやっと自分の目的が達成できたと、ふふっと嬉しそうに笑っている。 ただの帰り路なのに、そうじゃなくて。 こうした一瞬一瞬がなんだかまぶしくて、小さいことの積み重ねが、 今まで凝り固まってた僕の気持ちをほぐしていくって実感する。 僕もなんだかおかしくなってきて、アカリの笑い声に被せて小さく笑った。 |