そっと、手紙を二つに折った。 見慣れた字、あたたかに綴られていた字。 全部、全部アカリのものだった。 今、思い出すにはあまりにも早すぎて、それでいて辛かった。 心に残ったのは戸惑いと、冷たい氷が背中を通ったときのような感覚だった。 「パパ・・・。」 声のした方を見ると、眠そうに目を擦りながら、小さな影がすぐ近くに立っていた。 「サクラ、おはよう。」 くしゃっと頭を撫でてやった。 寝癖がついてる柔らかな髪が、心地よい感触で手の中に残る。 濃いブラウンの髪の毛は少し薄い色だけど、アカリと近い色合いをしていた。 「とれ、なあに?」 葡萄色のビー玉のようなくりくりとした瞳が、僕が持っていた手紙を見つめてた。 僕はちいさく笑って、サクラの頭にポンと手を置いた。 「これかい?・・・ママからの手紙だよ。」 「ママぁ?」 「うん。ママからパパへのお手紙。」 「さーちゃんには?」 「サクラが産まれる前に、ママが書いたんだよ。」 それを聞いても、サクラにはよく意味が分かってなかったのか、 それとも自分の生まれる前に母が書いたのだとしても、きっと自分にも手紙があるだろうと思ったのか、 くしゃりと顔を歪めて、手足をパタパタと動かした。 「やだー。さーちゃんにも!」 駄々をこねるサクラを困った顔で見つめていたけれど、ふと便箋の中にまだなにかあることに気づいて、 人差し指と親指でそっとつまんで出してみた。 「サクラ。」 葡萄色の瞳を覗き込んで、僕はゆっくりと微笑んだ。 サクラの瞳の中に、僕が映りこんでいた。 紫と紫の瞳が溶け込んで、僕は一瞬自分を見ているように思った。 「ママからサクラにだよ。」 そっとつまんだ僕の人差し指と親指の間にあるしおりの中には、ピンクキャット草の花が押し花になっていた。 鮮やかとはいえないけれど、でも慎ましく淡い薄紅色を残しているその花は、 ただ震えるようにして、フィルムで覆われたしおりの中に存在していた。 サクラにしおりを渡してやる。 小さな、もみじくらいの手に収まったしおりの中にいる花を、サクラは不思議そうに眺めていた。 「あれ、チハヤ。今日さーちゃんはいないの?」 いつものようにキルシュ亭で仕込みの作業をしていると、マイが駆け寄ってきた。 「今日は夕方までだから、エリィさんが見てくれるって。」 「なーんだ。つまんないや。」 口をとがらせるマイを見て、くすりと思わず笑ってしまった。 さーちゃんさーちゃんとマイが呼ぶので、サクラが自分のことをそう呼ぶようになったことを教えてやると、 マイはころころと嬉しそうに笑いだした。 ついでにマイに、仕込んでいたスープを小皿に注いで、試食してもらった。 「おいしいよ、チハヤ。」 「ねえマイ。」 「なあに?」 言おうかどうか、迷った。 やっぱりやめてしまおうか。マイに聞いて何になるんだろう。自分の気持ちさへ分からないというのに。 でも、きっとこのままじゃ前にも後ろにも進めない気がした。 ただ、沈んでいく、そんな気分はもう十分味わっている。 だからゆっくりと、口を開いた。 「もしも、もう会えることもない人から手紙が来たら、君なら返事を書くかい?」 マイは、真面目な顔をして僕を見た。 薄いビー玉の瞳が揺れている。 びっくりしているようにも見えるし、戸惑っているようにも見えた。 「・・・・・・アカリさん?」 「例えばの話だよ。」 僕はマイから小皿を取ると、鍋の方に視線を戻した。 ゆっくりとお玉で鍋をかき混ぜていく。 しばらく二人とも何も言わなかった。 砂時計がゆっくりと砂粒を下に落として、それがすべてなくなってしまうくらい時間が経ってから、 ようやくマイが口を開いた。 「・・・・・・もしも私なら。その人のことが忘れられなくて、 ずっと気持ちの中に埋まっているままだとしたら、私は手紙の返事を書くと思うなあ。」 ゆっくりと、僕はマイをもう一度見た。 「手紙を書くことで、その人への気持ちは、もっと大きくなるんじゃないかい?それって、辛いだけじゃないか。」 「違うよ。」 マイは小さく笑った。申し訳なさそうに笑っているようにも見えた。 「埋まっている気持ちをね、掘り起こしてあげるの。いつでもそっと思い出として見れるように。 それが、気持ちの整理をつけるってことじゃないのかな。」 「・・・・・・・・。」 「初めは辛いかもしれないけれど、きっと、笑って思い出すことが出来るように、って。」 僕は、一瞬目を瞑った。 マイの言葉がゆっくりと耳に、心に沁み込んでいく。 「チハヤになら、きっとできるよ。」 |