web拍手の小話 チハヤ*アカリで失恋話です。 水槽の中を泳いでるみたいだった。 ゆらゆらとゆらめく水の中で、わたしは窒息しそうなのに、 さまざまな色に光り、反射する水の姿に目を奪われて、この世界から抜け出すことを拒んでいる。 抜け出したいのに、抜け出したくない。 あーあ。 どうしたってかないっこなかったんだ。 酸素を求めるかわりに、私はチハヤを求めた。 ただそれだけだ。 *** *** *** チハヤと手をつないでいると、私の中の細胞がもう一度生まれ変わろうとする。 何億個もの細胞たちが、チハヤに恋をして、 もっとよくなろう、チハヤに見続けてもらうために、チハヤに飽きられないように。 そう願いながら生まれ変わっていく。 私の身体は、チハヤのためにあるのだろうか。 そう錯覚するときがある。 *** *** *** チハヤがいない世界を想像してみる。 三分だってもたない。 彼のいない世界は、私にとって、水も空気もない世界だ。 そんな世界で、1分以上生きていけるわけがないでしょう? 馬鹿な質問をしている子どもみたいだ。 素直で率直なあのころに戻ることだってできないのに。 私はただ、チハヤに与えられた水槽の中で、 ひっそりと泳いでいればいいのだから。 *** *** *** チハヤに恋をする前の自分がどうだったのか思い出せない。 そんな一時が一瞬でもあったのだろうか。 今では、信じられない気持ちになってしまう。 でも、もし。そのころに帰れるのなら。 今のわたしを止めることができたのかな。 まっすぐな瞳で、チハヤを見ることができたのかな。 だって、こんなにもチハヤのことを想っているのに。 それならば、今すぐにでも、この手を離すべきなのに。 私は、酸素のない生活を忘れてしまったの。 あの葡萄色の瞳に見つめられない日がくるなんて、 今は、まだ考えたたくない。 *** *** *** チハヤに名前を呼んでもらう瞬間が好き。 たった三文字。 そういうには惜しいくらい、彼の声で呼ばれた私の名前は、 軽やかに弾みながら、私の耳に届いてくる。 名前も喜んでいるみたいだ。 その瞬間だけ、空気がやわらかくなる気がした。 その瞬間だけ、世界に許されているような気がしたの。 もう少しだけ、チハヤの腕の中で、彼の声を聞いていたい。 *** *** *** 愛してる なんて言葉はひどく残酷。 たった一瞬しか誓えないその言葉に、 私はずっと振り回されている。 その言葉があるから、私は水槽の中で泳いでいられる。 息をしていられる。 でも、 その言葉に、逃げられなくなる。追い詰められていく。 傷つく準備は、まだできていないのに。 *** *** *** 両想いって、奇跡だと思う。 そう幸せそうに笑った彼女の笑顔が、私の頭にちらついている。 奇跡って言葉が、きらきらと光る金平糖のように思えた。 可愛くて、甘い。 彼女にぴったりの、素敵な言葉。 きらきらふっていく。 空からふってくる言葉たち。 よく通る声。可愛い笑顔。いつまでも消えない金平糖の記憶。 私の心の中は、罪悪感でいっぱいになる。 結ばれることのなかった私の気持ちはどこにいくのかな。 こんな風にずっと、漂ったままなのだろうか。 *** *** *** もう終わりにしよう。 そう言ってくれたらいいんだよ。 そうしたら私は、新しい恋をはじめるから。 なんて嘘。 言わないで。終わりにしないで。 次が最後なんて思わせないで。 頭の中は、汚い言葉たちでいっぱいで。 言う勇気もないくせに、私の心の中でくすぶっている。 だって、だって。 私の細胞をすべて死なせても、 きっとまた、彼を好きになる細胞が生まれてしまうのだから。 *** *** *** 好き。 うん、わかってる。 でも、私じゃないんでしょ? ・・・・・僕も、好きだったよ。 お願い女神さま。時間をとめて。 この次の言葉を響かせないで。 *** *** *** 水槽の中で泳いでいるみたいだった。 私にとってチハヤは、水槽の中で泳ぐ私の水であり空気だった。 青い羽根は、彼を遠くに連れて行ってしまった。 私の手の届かないところだ。 私の細胞は、ひとつ、ひとつゆっくりと死んでゆく。 でも、生まれ変わる細胞は、まだチハヤのことを想っている。 この細胞が、ひとつ、ひとつ。チハヤを忘れていくのに、一体どれくらいの時間がかかるのだろう。 ゆっくりと瞳を閉じる。 瞳の向こうにいつもいる彼には、もう手が届かない。 空しい心を抱きながら、私は小さなしずくを一滴、頬に転ばせた。 大丈夫。 もう少しで、かさぶたが出来上がるはずだから。 |