白いシャツがまぶしいくらい、日に反射して光っていた。

透けて見える肌の部分が、くっきりと浮かんでいるところと、そうでないところがあって。

日に反射して、くっきりと浮かんだ部分が目に入るたびに、小さく心臓が跳ねた。



大きいと、思った。


肩幅の広いところとか、ぐんと伸びた身長とか。

毎日隣にいるのに、今さらながら、そんなことを感じた。

ちょっと上を見なければ、交わらない視線。抱きしめられたときに、目の前にくる厚い胸板。

今になって気付くその発見に、さっき跳ねた心臓が、とくとくと鳴った。


いつのまにか、身長の差が30センチに届こうとしていた。




「どした?」


はたと立ち止まって、顔を覗き込まれていた。

ぱちりと瞬きをする。

昭の後ろ姿は、もう見えなかった。変わりにまっすぐに、彼の視線を捕えた。


昭の声で、自分がぼんやりしていたことに、やっと気づいた。

ぼんやりとした頭の向こうで、

小さかった頃、背がほとんど変わらなかったことを思い出していた。



「・・・。なんでもないわ。」


私の言葉に、ふーん、と眉をちょっとあげて、昭はそう言った。

立ち止まっていた足が、また動き始める。

歩き始めた昭は、私の横に並んだままだった。もう、背中越しのシャツの白さは見えなかった。


身長に差がついた分、同じ歩幅で進むことはもう不可能で、

私の歩の進みに合わせてか、昭の歩みはいくらかゆっくりだった。



「今日、俺ん家に来るか?」


ぽんと、言葉を紡いだ昭の言葉に、私は彼の方を見上げた。

カバンを無造作に肩かけて、昭は目が合うと、にっと口角を上げた。



「課題は?」


「一緒にやる。」


私の問いに、即座に言葉が返ってきた。

きっと、私がそれを話題にすることを、とっくに感づいていたのだろう。

私はちょっと、息をついた。


「私の課題を写すんじゃなくて?」


「じゃなくて。」



「ほんとうに?」


「なんだよー。俺のこと、信用できないっていうのか?」


「そうね。課題に関しては。」


「ひっでーな、元姫。」


そう言いながら、昭の口元は、相変わらず笑っていた。

ぽんぽんと、言葉が空気の上で、踊るように飛び交った。

そこから小さな喧嘩や言い争いになることもしばしばあるのだけれど、

小気味よいリズムで交わされる会話は、嫌いではなかった。


言いくるめたり、逆に会話の流れに身をまかせることになったりと、

昭と会話していると、結局どんな風に話がまとまるか、分からないこともあった。


結局、それから昭が、

ずっとそのことを曲げようとしなかったので、私は昭の家にお邪魔することになった。



自分の家の次に、よく足を踏み入れる場所。

ふっと馴染む空気の色も匂いも、昔と少しずつ変わってきたけれど、

そのたびに、肌にふっと溶け込んで、いつの間にかそれが当たり前の空間になっている。


部屋までの階段が何段あるとか、足を踏み入れたときどこで小さな板の声が聞こえるとか。

部屋の散らかり具合まで把握しているのは、いかがなものかと思うときもあるけれど。

(掃除をするとき、決まっていつも手伝うことになるのだから。)


私は、散らばった漫画雑誌やメンズ雑誌を、さっさと積み重ねて、自分が座るスペースを作った。

昭はカバンを放り投げると、ベッドの上にごろんと寝転がった。



「ちょっと、課題は。」


「焦んなって。休憩してから、な。」


じとりと睨みつけたけれど、それくらいで怯むわけはなくて。

「今しないのなら、私は帰るわよ。」


小さくついた溜息と、一声。

すると、漫画雑誌に伸ばしかけた昭の手が、ぴたりと止まった。

私の様子をうかがうように、ちらりとこちらを見てくる。視線が、かちっと交わった。



ふいっと、視線を外して、カバンの中から課題を取り出した。

すぐ横でじりじりしているであろう昭は、私の横顔を伺っていた。

昭の視線を無視して、今日の課題のページを開いた。


「帰らないか?」

ベッドからちょいっと身を乗り出して、そっと聞いてきた。


「自分のが終わったら帰るわ。」


私は問題集のページから目を離さずに、あっさりとそう答えた。



「終わった後の俺と元姫のゆるゆるタイムは?」


「なにそれ。」


軽く一蹴した言葉が、空気に充分に溶け込んだ後で、

昭はしぶしぶと、先ほど放り投げたカバンを引き寄せて、課題を取り出した。

先がくるんと丸まった、お世辞にもきれいとは言えない問題集をベッドの上で広げている。


「何ページから?」

「72から80まで。」


「ゲ。数学だけでそんなにあんのかよ。」


「文句言う暇があったら、はやく手をつけたら?」


「ちなみに英語は・・?」


「長文訳と118から125まで。」


はあああと盛大な溜息が横から聞こえてきた。

昭の溜息の端が、耳の横をふっと通り過ぎていった。


「元姫ちゃんは、ちなみに今どこまでやった?」


「写させないわよ。」


「はあ。まったくなんでもお見通しだよな、お前は。」


ぽりぽりとシャーペンの端で頭を掻いて、昭は数学の問題集の方にやっと目を向けたらしい。

いやいやながらも、すっと問題集に視線が集中していくその様が、横眼で見なくても十分に伝わってきた。


昭のそんな姿が、好きだった。

なんでもめんどくさがり屋で、やればできるのに必要最低限のことしかしなくて。

何かをさせるまでのやる気を引き出させることが、とても、とても大変なのだけれど。

それでも、すっと昭の視線がやるべきことに向けられたときの、

その一瞬の空気のしなりや変化に、はっとすることがある。

こうゆうのを、ギャップというのだろうか。なら私は、昭のそのギャップが好きだ。


すんと、周りの空気が、鋭くなる。

かりかりとシャーペンが紙の上を滑る音や、たまに昭が頭を掻く音、

寝転がったベッドの上で、足を組み替えるときにシーツが擦れる音。


小さな音を耳が拾い上げるくらい静まりかえったとき、

昭の様子を伝える音が、私の耳にはなぜか心地よく響いた。

視線を送ることはないのに、何をしているのか手に取るようにわかる。

すぐ横にいるのに、珍しく静かにしている昭のその姿とか。

たまに、なぜか、たまらなく愛しくなる時がある。



そんなことを思っていると、昭がベッドからするっと降りる音が聞こえた。


あ、空気が崩れる。

やっぱりこんな時間1時間も持つわけない、か。


きっと、課題をベッドに放り出したまま、昭は私のすぐ後ろにきていて、

ぎゅうっと腕を私の首に巻きつけてきた。

熱いくらい温かい昭の腕や、ぴたりとくっついてきた背中の密着感だとか、

ゆっくりと体重をかけてきた昭の重みとか、耳にかかる昭の茶色の髪の毛のくすぐったさとか。


胸がとくとくと鳴る。

気にしたいわけではないのに、やっぱり気になってくる。




「なあ、元姫。」


静かになっていた部屋の中で、昭の声はひどく大きく聞こえた。

あ、耳の横だからか。昔とは違う、低い男性の声。お腹の中にまで沁みこんでくる、昭の声。



「ちゅーしよ?」


ああ、なにを言い出すかと思えば。

胸のとくとくはとりあえず、奥の方にしまいこんで、

私はひどく冷静な声になるように努め、昭に向かって口を開いた。



「課題終わるまでは、だめ。」


だって、絶対、とまらなくなるでしょう?

とまでは、言わなかった。言ったら絶対、肯定の行動に出るもの。


私の否定の言葉に、昭の腕はさらにぎゅっと強くなり、身体をぐいぐい背中に押し付けてきた。

ちょっと、苦しい。



「減るもんじゃないじゃん。」


「減るわよ。」


やっぱりちょっと苦しいから、私はシャーペンを持っていないほうの手で、

昭の腕をぽんぽんとたたいた。

あ、ごめん。とそう言って、腕の力は少し弱まった。ほんとに、少しだけ。



「じゃあ、課題終わったらな?絶対だからな?」


「はいはい。」


頷いた言葉で、昭の腕はやっと私から離れた。

熱くなった肌の熱が、解放されてふっと柔らかくなった。

けれど今度は、右肩に熱を感じた。ふわっと、茶色の髪の毛が肩にかかる。



「ちょっと。昭?」


昭の方に目をやる。

頭のてっぺんしか見えないけれど、きっと目を瞑っているのだろう。



「10分だけ休憩。」


「もうすぐ終わりじゃない。」


「それを終わらせるために、10分。」


「もう。」


小さく溜息をつく。

視線を屁理屈ばかりいう奴から、再び問題集に戻した。



「肩かして。」


「・・・言う前に、もう使ってる。」


「おう。」


「おう、じゃないでしょ。」


ははと笑う声。声に合わせて、私の肩にも振動が伝わってきた。

とくんと、しまいこんでいたはずの胸の音が、一度鳴った。



なにげない仕草。声。表情。

日常の中に散りばめられているそれらに、

どんなに奥底にしまいこんでも、私の胸はとくとくと反応してしまう。


口が裂けてもそのことを言うつもりはないけれど、なんだか負けた気分がした。

いつのまにか、小さく寝息を立てて寝始めた昭が触れている肩からやわらかい熱が伝わってきて、

もう一度だけ、胸がとくんと鳴った。








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